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津久井城跡周辺

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  1. 築井古城記碑

     築井古城記碑は、津久井城の山頂部の本城曲輪内に江戸時代後期に建てられたもので、大きさは高さ1.5m、幅80cm、厚さ20cmで、材質は根府川石の一枚岩である。建立年月日は明らかではないが、碑に文化13(1816)年11月28日の撰文と記されている。
     碑の建立者は根小屋村名主の島崎律直で、従兄弟である国学者小山田与清を介し、題字は老中として寛政の改革を行った白川少将朝臣(松平定信)、撰文は幕府儒官の大学頭林衡、書は国学者で幕府の奥祐筆であった源弘賢(屋代弘賢)、刻字は当時随一の石刻家であった広瀬群鶴といった当時の著名人が建立にかかわっている。
     碑文の内容は、津久井城築城の由来や城主内藤氏の系譜などの一説が記されている。

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    1082m
    14m
  2. 飯縄神社(根小屋)

     建久8年(1197)鎌倉幕府の頃、領主築井太郎次郎義胤本郡を所領し、当時該所に城塞を築き、守護神として飯縄神社を建立した。その後文亀年間(1501~1503)北条氏関東を領するにおよび、その臣内藤左近将藍景定、この城に居住し、同神社を守護神とした。しかし天正18年(1590)北条氏没落とともに、根小屋、太井両村の鎮守として受継がれた。
     昭和41年台風により本殿が倒壊したため、新たに社殿の造営がなされた。別当は寿性院である。
     現在、当社は宝ヶ峰の東丘にあって周囲は雑木林となっている。

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  3. 太井山功雲寺

     当寺は、往古耕雲庵と称して、宝ヶ峰の裏側、昔の太井村に一小庵としてあったのであるが、築井城主内藤左近将監景定が根小屋に移転して太井山功雲寺と改め自らその開基となった。そして応永15年(1408)小田原最乗寺の了庵恵明禅師の高弟大綱明宗大和尚によって開山された。開基内藤景定の墓は当寺の境内に現存している。寺宝について、相模国風土記稿によれば2器は津久井城主内藤氏の寄進によるもの。長刀は内藤景定の内儀の所持せるものなりと云う。

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    1750m
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  4. 根小屋諏訪神社(根小屋)

     旧社格村社。建久3年(1192)津久井領主津久井太郎次郎義胤が、宝ヶ峰在城の時勧請する。10間四面を社地に付け置かれ、その後数世を経て、小田原北条氏の旗下、内藤左近将藍景定同峰の城主の時、大永7年(1527)当社へ50間四面の地を寄進せられた。天文5年7月に本殿を造営したとの記録がある。
     現在、当社は宝ヶ峰山麗の西南、中野と根小屋を結ぶ道沿に境内がある。針葉樹、杉等樹齢数百年の巨木にて森をなす。昭和59年(1984)12月県名木100選に樹高40m、胸高周囲6.3mの杉が選ばれた。境内社は金丸稲荷神社が祀られている。

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    767m
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  5. 太井山功雲寺

     当寺は、往古耕雲庵と称して、宝ヶ峰の裏側、昔の太井村に一小庵としてあったのであるが、築井城主内藤左近将監景定が根小屋に移転して太井山功雲寺と改め自らその開基となった。そして応永15年(1408)小田原最乗寺の了庵恵明禅師の高弟大綱明宗大和尚によって開山された。開基内藤景定の墓は当寺の境内に現存している。寺宝について、相模国風土記稿によれば2器は津久井城主内藤氏の寄進によるもの。長刀は内藤景定の内儀の所持せるものなりと云う。

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  6. 伝津久井城主内藤氏の墓

     伝津久井城主内藤氏の墓は、高さ約135㎝の宝篋印塔で、製作年代は不明であるが、形態としては近世のものである。
     「築井古城記碑」によると、津久井城主として内藤左近将監景定の名が伝えられており、『新編相模国風土記稿』の功雲寺の項には、津久井城主内藤左近将監景定について、天文3(1534)年3月20日卒、功雲寺の開基とあり、その墓所が寺内にあると記されている。

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    180m
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