さがみはら -3・4年生社会科副読本-
3年-1 わたしのまちと相模原市
1 まちのたんけんをしよう
学校の屋上(おくじょう)から
学校のまわりの様子を見わたそう。
わたしたちは、学校の屋上から、自分の家やよく行く場所(ばしょ)をさがしてみました。屋上から見るとまちの様子がいつもとちがって見えます。わたしたちは、目じるしになるものを見つけて、たんけんしたくなりました。
学校のまわりをたんけんしよう
計画を立ててたんけんしてみましょう
わたしたちは、たんけんして調(しら)べてみたいことを話し合いました。そして、計画を立てて、たんけんすることにしました。
みんなで、話し合ったことをもとに学習問題(がくしゅうもんだい)をつくりました。
わたしたちは、2日に分けてたんけん計画を立てました。みんながたんけんしたい場所をつなげてコースを決めました。そして、調べるポイントを話し合いました。
たんけん計画を立てよう!
1、行くところを決めよう。
2、学区の地図を見てコースと道順(みちじゅん)を決めよう。
3、調べるポイントを話し合おう。
4、持(も)ち物(もの)やたんけんするときに気をつけることを話し合おう。
5、調べたことや発見(はっけん)したことを「たんけんカード」にまとめよう。
調べるポイント
たんけんカードにまとめよう!!
絵地図や表(ひょう)にまとめよう
まちの様子を話し合いましょう。
わたしたちは、先生からいただいた地図に気づいたことを書き入れました。そして、「わたしたちのまちはどんな様子なのか」を話し合いました。
北・西コースと南・東コースの二つのコースについてわかったことを表にまとめてくらべてみました。
2 相模(さがみ)原(はら)市をたんけんしよう
相模原市はどこにあるの
県や市の地図をながめてみましょう。
わたしたちは、自分たちのまちについてまとめた後、今度は相模原市のことについて知りたくなりました。県の地図を使って、相模原市の場所をたしかめました。
調べてみよう
・相模原市は神奈川県のどの方角にあるかな?
・相模原市のとなりはどんな市や町や村があるかな?
・相模原市の広さを他(ほか)の市や町や村とくらべてみよう。
相模原市の形を紙にかいてみよう
市の地図の上にうすい紙を重(かさ)ねてなぞってみよう。
※白地図用ワークシートが使えます
相模原市たんけん計画をたてよう
相模原市のことがよく分かる場所へ行く計画を立てよう。
大切なポイント
・公共しせつ
・交通
・土地のようす
・土地の使われ方
・古くからあるたてもの
相模原市の土地の様子
土地の様子について調べたことを、白地図にまとめましょう。
相模原市は土地の様子が地域によってちがいます。わたしたちは、土地の様子を、まず、土地の高さに注目して考えてみることにしました。
相模原市の土地の使われかた
土地は、どのように使われているかを、調べましょう。
相模原市は「潤水都市(じゅんすいとし)」と言われ、相模川を中心とした川と5つの湖があり、自然豊(ゆた)かな場所です。陣馬山(じんばさん)や相模湖(さがみこ) には、たくさんの観光客(かんこうきゃく)がおとずれます。
また、市の東がわの土地は広い台地となっています。住宅(じゅうたく)や大型(おおがた)ショッピングモール、工場、大学などがあり、市民(しみん)が安心(あんしん)してくらせるまちになっています。
相模川(さがみがわ)
家が集まっているところ
工場が集まっているところ
相模川(さがみがわ) 関連資料リンク
高層(こうそう)マンションと近くの公園
首都圏中央連絡自動車道(しゅとけんちゅうおうれんらくじどうしゃどう)(圏央道(けんおうどう))
国道16号
畑
JR橋本駅北口付近
JR橋本駅北口付近 関連資料リンク
小田急(おだきゅう)相模原サウザンロード
相模川ぞいの田
相模原市にある公共(こうきょう)しせつ
相模原市にはどんなしせつがあるのか調べましょう。
相模原市には、みんなで使うしせつ(公共しせつ)がたくさんあります。公共しせつは、みんなでつかう場所なので大切に利用(りよう)するひつようがあります。「相模原市たんけん」で行けなかった場所にも、ぜひ、行ってみて調べてみましょう。
ふるさと自然体験教室(しぜんたいけんきょうしつ)(澤井(さわい))
豊かな自然に囲(かこ)まれた場所にある宿泊体験施設(しゅくはくたいけんしせつ)です。
県立相模湖交流(けんりつさがみここうりゅう)センター(与瀬(よせ))芸術(げいじゅつ)や文化を通して地域(ちいき)の住民(じゅうみん)の交流_(こうりゅう)の場になっています。
緑(みどり)の休暇村(きゅうかむら)センター(青根(あおね))自然(しぜん)に親(した)しめる合唱館(がっしょうかん)・いやしの湯(ゆ)があります。楽しい体験(たいけん)がたくさんできます。
[資料1]
相模湖記念館(さがみこきねんかん)(相模湖交流センター内)相模湖の歴史(れきし)や自然(しぜん)・相模ダムの役(やく)わりを楽しみながら学べる参加体験型(さんかたいけんがた)のミュージアムです。
鳥屋地域(とやちいき)センター(鳥屋)4カ所の地域センターがあり、人々の様々な活動・交流の場になっています。
津久井文化福祉会館(つくいぶんかふくしかいかん)(中野)中央公民館(ちゅうおうこうみんかん)と老人福祉(ろうじんふくし)センターの役割(やくわり)を持っています。
城山総合事務所(しろやまそうごうじむしょ)(久保沢(くぼさわ))まちづくりセンターや高れい者支援(しえん)センターがあります。
古民家園(こみんかえん)(大島)江戸時代に建(た)てられたと思われるわらぶき屋根(やね)の建物(たてもの)「旧青柳寺庫裡(きゅうせいりゅうじくり)」が復元(ふくげん)されています。
[資料1][資料2][資料3]
相模湖漕艇場(さがみこそうていじょう)(与瀬(よせ))相模湖でのボート・カヌー競技(きょうぎ)を支える施設です。艇(てい)の保管(ほかん)や競技用ボート・カヌーの貸し出しなども行っています。
相模川(さがみがわ)ふれあい科学館(かがくかん)アクアリウムさがみはら(水郷田名(すいごうたな))「母なる川」相模川をもっと知り、親しみをもっていただくために多くの資料をわかりやすく展示しています。
[資料1][資料2]
LCA 国際小学校北(こくさいしょうがっこうきた)の丘(おか)センター(下九沢(しもくざわ))子どもたちが安全(あんぜん)に楽しめるように設計(せっけい)されたプールやウォータースライダーがあります。
[資料1]
相模川自然(しぜん)の村 野外体験教室(やがいたいけんきょうしつ)(大島)相模川ビレッジ若あゆでは、自然に親しみながら豊かな体験ができます。
麻溝公園(あさみぞこうえん)ふれあい動物広場(どうぶつひろば)動物好きの子どもたちに人気のある施設(しせつ)です。
相模原(さがみはら)ギオンスタジアム(相模原麻溝公園競技場(さがみはらあさみぞこうえんきょうぎじょう))(麻溝台(あさみぞだい))総合(そうごう)公園として親しまれている麻溝公園に新しくできた競技場です。
[資料1]
相模女子大学(さがみじょしだいがく)グリーンホール(相模原市文化会館(さがみはらしぶんかかいかん)(相模大野)大ホールでは、コンサートやミュージカル、演劇(えんげき)や発表会(はっぴょうかい)が行われています。 [資料1]
こどもセンターこどもセンターは市内に24館(かん)あり、みんなの楽しい遊(あそ)び場となっています。
相模原(さがみはら)ギオンアリーナ(麻溝台(あさみぞだい))市民のスポーツ・レクリエーションの振興(しんこう)をはかるために建(た)てられ、多くの市民に利用されています。
橋本図書館(はしもととしょかん)(橋本(はしもと))図書館は4館(相武台(そうぶだい)分館を含む)あります。本やCDをかりることができます。
小山公園(おやまこうえん)ニュースポーツ広場(ひろば)(小山(おやま))スケートボード、インラインスケート、バイスクルモトクロスなどの競技の練習(れんしゅう)コースを備(そな)えた施設(しせつ)です。
[資料1]
相模原市役所(しやくしょ)とそのまわりの様子
市役所はどのようなしせつなのでしょうか?
わたしたちは、市役所の地図記号(きごう)を見て、市役所にきょうみをもちました。市役所のまわりを歩いたり、地図を見たりして、市役所のまわりの様子について調べました。
市役所ってどんなところ?
市民が健康(けんこう)で楽しくすごすための仕事(しごと)をする場所です。職員(しょくいん)がさまざまなグループに分かれて、たくさんの仕事を協力(きょうりょく)しながら行っています。たとえば、相模原市にある公共しせつを新しくつくったり、運営(うんえい)したりすることも市役所の仕事のひとつです。
相模原市役所の人の話
相模原市役所では、みんなのくらしに関(かか)わる様々(さまざま)な仕事をしています。市民が相談(そうだん)できるまど口もあります。災害(さいがい)などがあったときには、ひなんの情報(じょうほう)なども伝(つた)えています。
その他(ほか)にも、市のかんこうやさんぎょう、まちの開発(かいはつ)、お祭(まつ)りなど、相模原市をもり上げたり、よりよくしたりする活動(かつどう)も行っているのですよ。
相模原市にある駅とそのまわり
相模原市にある駅のまわりの様子を調べましょう。
JR 相模原駅(えき)
JR 橋本駅(はしもとえき)
JR 橋本駅(はしもとえき) 関連資料リンク
小田急相模大野駅(おだきゅうさがみおおのえき)
小田急相模大野駅(おだきゅうさがみおおのえき) 関連資料リンク
わたしたちは、市内の交通について電車の路線図(ろせんず)を見ながら、それぞれの駅について調べてみました。そして、相模原市が、これからどうなっていくのだろうと考えました。
相模原市に古くからある建物(たてもの)の様子
土地の様子について調べたことを、地図で確(たし)かめましょう。
わたしたちは、相模原市に古くからあるたてものや文化などについて調べました。
すると、市内には、約(やく)20000年前の遺跡(いせき)や江戸(えど)時代(じだい)に大名(だいみょう)(とのさま)がとまる宿(やど)などがあることがわかりました。
❸吉野宿(よしのじゅく)ふじや
❽川尻石器時代遺跡(かわしりせっきじだいいせき)
相模原市のポスターをつくろう
調べたことをポスターにまとめましょう。
わたしたちは、相模原市のとく色やよさについてクラスの友だちと話し合いました。そして、話し合ったことをポスターにまとめました。
3年-2 まちではたらく人たち
1 お店ではたらく人と仕事
買い物(もの)はどこで?
みんなはふだんどこで買い物をするのだろう?
身(み)のまわりにはたくさんのお店があります。そこで家の人がふだん買い物に行くお店について話し合いました。
見学して調(しら)べよう
お店の中を見学したり、お店の人に話を聞いたりして調べよう。
スーパーマーケットではお客(きゃく)さんに来てもらうためにどのようなくふうをしているのでしょうか?
わたしたちは、お店に見学に行ってみることにしました。
見学のじゅんびをしよう!
1 どんなことを調べたいかはっきりとさせましょう。
2 どのように調べるか決めましょう。
3 見たり聞いたりしたことを書けるように、ノートを用意しましょう。
4 お店を見学するときのマナーをかくにんしましょう。
※「さがみはら用ワークシート」が活用できます。
買いやすさのひみつ
お店の様子をよく見て考えてみましょう。
わたしたちは、スーパーマーケットを見学してお店の中の様子を絵にしました。また、くふうしていると思ったことについて写真をとってきました。みなさんは絵や写真の中にどんなくふうを見つけることができますか?
〔お店の中の様子〕
ねだんのくふう
割引(わりび)き品(ひん)
商品(しょうひん)の品ぞろえのくふう
さまざまなしゅるいの商品がおかれたたな
レジのくふう
会計が別になったレジ
ポイントカード
使(つか)いやすさのくふう
イートインスペース
広い通路(つうろ)
授乳室(じゅにゅうしつ)
クッキングサポート
新鮮(しんせん)さのくふう
氷(こおり)のていきょう
お店をよくするためのくふう
お客さんの意見
すべての人が使いやすくするためのくふう
障(しょう)がい者専(せん)用の駐車(ちゅうしゃ)スペース
相模原市でとれた野菜(やさい)
広く大きな駐車(ちゅうしゃ)場
かんきょうにはいりょしたくふう
エコバックのはんばい
リサイクルボックス
スーパーマーケット店長さんの話
すべてのお客様に「気持(きも)ちよく買い物ができてよかった。」と言っていただけるようにいつも考えてくふうしています。
それは、安いだけではなく、「安心・安全に買い物をしていただけるように」ということです。
また、地域の行事に合わせて品物(しなもの)をそろえたり、最近(さいきん)では家族構成(こうせい)を考えて、少量のパック、ばら売りをしたりしています。
お店ではたらく人の努力(どりょく)とくふう
どんな努力やくふうをしているのでしょうか。
わたしたちは、たくさんの人がはたらいていることを知りました。
ずいぶんいろいろな仕事(しごと)があって、たくさんの人がはたらいているんだね。」
「いろいろな人にインタビューをして、どんな仕事か聞いてみるよ。」
売り場を見回り、品物を見やすく、そしてお客さんが取りやすいように定期的(ていきてき)に商品(しょうひん)の整理をしています。
また、品物が品切れにならないように気をつけています。
パック売りの魚が多いのですが、季節(きせつ)によっては一ぴきずつ売ることもあります。また、お客さんの注文に合わせて魚を切ることもあります。
レジでは、金がくを正確(せいかく)に打ちこむために読み上げ登録(とうろく)をしています。お客さんを待たせないために、土日は2人体制(たいせい)をとっています。とくにお金の受けわたしをまちがえないように気をつけています。
そうざいは売り場のすぐ近くで作っています。お客さんにできるだけ作りたてのものを食べていただきたいと思うからです。また、お客さんの注文に合わせて作れるようにもできます。そうざいコーナーと調理室(ちょうりしつ)の間のかべの一部(ぶ)をガラスにしています。作っているところを見ていただくことで、お客さんに安心してもらいたいからです。
店内のアナウンス、電話の対おう・呼(よ)び出し、領収(りょうしゅう)書の発行、落とし物の保管(ほかん)、迷子(まいご)の呼び出しなどいろいろなサービスをしています。
品物(しなもの)はどこから?
野菜(やさい)や果物などの品物は、どこから送られて来るのでしょうか?
わたしたちは、お店がどこから品物(しなもの)を仕入れているのか、地図帳(ちずちょう)を使って調(しら)べました。
そして、それらを地図にまとめました。
上手な買い物をするために
買い物のしかたについて調べたことをもとに話し合ってみましょう。
わたしたちは、学習したことをもとにして、上手な買い物について考えました。
<
さんの考え>
わたしの家ではトレーや牛乳パックなどを集めて、スーパーマーケットの回しゅうボックスに入れているよ。
<
さんの考え>
おうちの人が「賞味期限(しょうみきげん)」を見た方がいいって言ってたよ。「賞味期限」と「消費期限(しょうひきげん)」って何だろう?
<
さんの考え>
わたしは、くさらせたり食べ残したりして食べ物をむだにしないように、量(りょう)を考えて買おうって、家の人と話し合ったよ。
<
さんの考え>
わたしは、安いだけではなくて、安心して食べられるものをえらぶようにしたいな。
<
さんの考え>
いろいろなお店があることが分かったから、買うものによって一番合ったお店をえらぶこともできるね。
学習をまとめよう
消費者(しょうひしゃ)の一人としてできることは何か考えてみましょう。
はたらく人たちは消費者のためにさまざまなくふうをしていました。
あなたは、消費者の一人として、これからどんなことに気をつけて買い物をしていきたいですか?考えてみましょう。
2 食品工場ではたらく人と仕事〈せんたく〉
パンが作られている工場を見学しよう
パンはどのように作られているのでしょうか。
わたしたちは、スーパーマーケットの見学で、相模原市で作られたパンが売られていることに気づきました。そこでパン工場について調(しら)べてみることにしました。
パンはどのように作られているのだろう。
パンがどのように作られているのか見学しよう。
じっさいに工場を見学してみることにしました。係の人にお話を聞くと、工場では、パンを何種類(しゅるい)も作っているそうです。
工場で作られていたパン
あんぱん
揚(あ)げパン
食パン
工場ではたらく人たちのくふう
はたらく人たちはどんなことに気をつけているのだろう?
工場ではたらいている人たちがどのような仕事をしているのか、また、どのようなことに気をつけているのか、調(しら)べてみました。
工場ではたらく人のお話
工場には70人の人がはたらいています。私たちは食べ物を作っているので、衛生面(えいせいめん)にはとくに気を使っています。
はたらく人は、工場に入る前に健康(けんこう)チェックを毎日行っています。食品の安全のためには施設(しせつ)も大事ですが、はたらく人の心がまえも大事なのです。
どのようにはたらいているのだろう?
はたらく人たちの様子をくわしく調べよう。
はたらく人たちの様子をもっとくわしく調(しら)べてみることにしました。
ほかにはどのような仕事(しごと)があるのかな?
【製品(せいひん)を検査(けんさ)する人たちの仕事】
作られた食品が安全かどうかを検査(けんさ)しています。
形は整(ととの)っているか、焼き色はしっかりとついているかなど、人間の目できびしくチェックしています。
【生地をつくる人たちの仕事】
専門(せんもん)の人たちが毎日おいしいものをつくるために確認(かくにん)しています。
また、水質検査(すいしつけんさ)を行って、水道水の塩素濃度(えんそのうど)が適正(てきせい)かかくにんをします。
【事務室ではたらく人たちの仕事】
お店からの注文を受けたり、工場で作るパンの量(りょう)を決めて、材料(ざいりょう)を注文したりします。また、はたらいている人が気持(きも)ちよくはたらけるようにくふうしています。
【製品を運ぶ人たちの仕事】
安全運転(うんてん)に気をつけながら、お店に時間通りに運(はこ)びます。お店の開店(かいてん)時間や必要(ひつよう)な時間に合わせて、朝早くから運転しています。
また、パンの種類(しゅるい)や数をまちがえないようにチェックしてから出発しています。
材料(ざいりょう)はどこから?製品(せいひん)はどこへ?
材料はどこからくるのか、製品はどこに送られているのだろう。
私たちは、材料はどこからくるのか、工場で作られた製品はどこへどのように送られるのかを調べました。
材料を注文する人の話
材料を注文するときにはとくに気を使っています。
安全がかくにんされたものを使うように心がけています。
また、材料は長くおくと新鮮(しんせん)さがなくなるので、必要(ひつよう)な量(りょう)だけ注文するようにしています。 また、※1フードロスにならないようにも配慮(はいりょ)しています。
※1 フードロス・・・本来は食べることのできたはずの食品が廃棄(はいき)されること。
学習をまとめよう
工場ではたらく人たちのくふうをまとめよう。
工場ではたらく人たちは、さまざまなくふうをしていました。学習を振り返って、まとめてみましょう。
まとめ方の例(れい)①
しらべコーナー
お茶工場を調べよう
佐野川(さのがわ)のお茶は地元の工場で荒茶(あらちゃ)(仕上げる前のお茶)にした後、神奈川県農協茶業センター(足柄上郡)にもっていき、仕上げをして足柄茶(あしがらちゃ)になります。茶業センターには神奈川県の各地からお茶が集まってきます。
お茶畑からとったばかりの葉
お茶の葉をすりつぶす機械の見学
ゆずを使った地域の特産品(とくさんひん)を調べよう
緑区の佐野川周辺(しゅうへん)で育てられているゆずは、古くからゆず湯(ゆ)や食材用に大切に使われてきました。
地域の人々が協力し合って、ゆずを使った特産品の製造(せいぞう)を行っています。
ゆずの果汁(かじゅう)を原材料(げんざいりょう)にして、ワインやジュース、シャーベット、ポン酢(ず) 、ゆず蜜(みつ)などがつくられています。
工場は、ゆずがとれる時期(11月から12月)が、一番いそがしくなります。
ゆずをつかった特産品
工場を見学する地元の小学生
地粉(じごな)を使ったうどんづくりを調べよう
緑区青山では地粉(主に神奈川県産の小麦)を使ったうどんを作っています。
できあがった製品は左の金属探知機(きんぞくたんちき)を通します。機械(きかい)を使っているので金属片(きんぞくへん)が入っていないか調べるためです。
お客さんの口に入る食べ物ですから、衛生(えいせい)面はもちろん、安全な製品(せいひん)作りをしています。
社長さんのお話
工場では、1日におよそ500kg(5000食分)の麺(めん)を作っています。麺は干(ほ)して乾(かわ)かすことによって、くさらずに長く保存できます。製粉(せいふん)するさいに出る小麦の外皮は、家ちくのえさに利用されます。
最近では、小麦をつくる農家が少なくなってきたので、相模原の小麦は貴重(きちょう)なものになりました。国産100%の製麺(せいめん)は珍(めずら)しくなりました。
3 農家(のうか)ではたらく人と仕事(しごと)〈せんたく〉
野菜(やさい)づくりの仕事
農家の人たちの仕事を調べよう。
スーパーマーケットを見学していたとき、わたしたちは相模原市の地名が書いてある野菜を見つけました。
どんな地域でどんな野菜が作られているのでしょうか。
相模原市の農業(のうぎょう)
相模原市ではどのようなものが作られているのだろう。
相模原市では、その土地の様子や気候(こう)に合わせてさまざまな農業がおこなわれています。
わたしたちのまわりではどのような農業がおこなわれているのでしょうか?
しらべコーナー
相模原市の主な農作物を調べよう
観光農園
柚子(ゆず)
ぶたを飼(か)う
市民農園
ブルーベリー農園
※「副読本さがみはら用ワークシート」が使えます。
野菜(やさい)はどこで?
野菜はどんな土地で作られているのだろう?
農家ではそれぞれの土地の様子に合わせ、いろいろな作物を作っています。
相模原市の東の方は土地が台地になっているため、水が不便です。そのため、畑で作る農作物が中心になっています。また、相模原市の西の方は山が多く、川にそって開けたわずかな平地や山のしゃ面をいかして農作物を作っています。
相模原市の東の方の広い土地をいかした畑
相模原市の西の方の山のしゃ面をいかした畑
*平成17年度より同じ家にいる後継者(後を継ぐ人)も1戸と数えています。(農林業センサスより)
農家(のうか)の人の願(ねが)い
農家の人はどんな願いをもって仕事(しごと)をしているのでしょう。
野菜(やさい)農家のおじさんの話
わたしの家では、いろいろな野菜を作っています。農家の仕事はとてもいそがしいですが、やりがいがあります。安心して食べてもらうために、畑にたいひを入れたり、土の中をきれいにしてくれる植物を作ったりして、土づくりを大切にしています。また害虫(がいちゅう)を防ぐためにネットをかぶせたり、寒い時にはビニールトンネルをかけたりして、作物を守ります。とれた新鮮(しんせん)な野菜はふくろなどにつめて、近くのスーパーマーケットに出荷(しゅっか)したり、直売所(ちょくばいじょ)で地域のみなさんに買っていただいたりしています。みなさんに安心して野菜を食べていただくために、安全でおいしい野菜づくりをめざしています。
コブトリ草
畑に植えることで害虫(がいちゅう)をふせぎ、土をきれいにします。
トンネル栽培(さいばい)
ビニールをかけて寒さから野菜を守ります。
農家(のうか)の人のいろいろな仕事
野菜(やさい)をつくるほかにどんな仕事があるのでしょうか。
私たちは、野菜を作る農家のほかにどんな農家があるか、話し合いました。そして仕事の様子やくふうしていることを調べてみました。
冬が近くなるとシクラメンがさきます。おくり物として買っていく人も増(ふ)えます。花や野菜のなえも作っています。
(場所:淵野辺(ふちのべ))
放し飼(が)いにしているニワトリはとても健康です。毎日のえさにもこだわっています。
(場所:麻溝台(あさみぞだい))
直接ぶどうを買えるので新鮮(しんせん)です。なしや柚子(ゆず)、ブルーベリーを育てている農家もあります。
(場所:東大沼(ぬま))
かちくを飼う農家のうつりかわり
農家のおじさんの話
むかし相模原ではたくさんの農家でかちくを飼(か)っていました。ところが最近(さいきん)では工場や住たくが増え、かちくを飼う場所がだんだんとへってきています。そこで何人かの人たちが共同でかちくを飼うくふうもしています。
また、野菜の農家と同じように後(あと)をつぐ人がへっています。
学習をまとめよう
農家の人たちの思いやくふうをまとめましょう。
農家の人たちは消費者(しょうひしゃ)とさまざまなつながりがありました。
どんな思いやくふうをしているでしょうか。ノートにまとめてみましょう。
3年-3 地域(ちいき)の安全を守る
私たちは、毎日を元気に楽しく、くらしたいとねがっています。しかし、上の写真(しゃしん)のような火事や交通事故(じこ)などのおそろしい災(さい)がいにいつあうかわかりません。
安全なくらしを守るために、私たちのまわりには、どんな仕組みが作られ、どのような努力(ど)やくふうがされているのかしらべてみることにしました。
1 火事からまちを守る
学習問題をつくろう
火事から学校やまちを守るしくみを調べるにはどうすればよいのでしょう。
火事は、わたしたちの生命(せいめい)や大切なざいさんを、あっという間(ま)にうばってしまうおそろしいものです。
学校では、おそろしい火事が起きたときにそなえて、ひなん訓練をしています。
もし、本当に火事が起(お)きたらどうなるのかをみんなで想像(そうぞう)して考えてみましょう。
消防しょをたずねて
消防しょの人たちはどのような仕事をしているでしょう。
消防活動の中心になっているのは、消防しょです。すばやく消火活動ができるように、どういうしくみが作られているのでしょう。消防しょを見学していろいろな話を聞くことにしました。
消防指令(しれい)センター
この建物の中に通信指令室があります。
消防局(きょく)
消防しょの仕事
消防しょは消火活動のほかにどのような仕事をしているのでしょう。
火事をふせぐために、消防しょの人たちは、いろいろな仕事をしています。わたしたちは、消防しょの見学をしながらどんな仕事があるのかをたしかめました。
出動訓練(しゅつどうくんれん)
救助訓練(きゅうじょくんれん)
予防査察(よぼうささつ)
救急活動(きゅうきゅうかつどう)
消防しょの人の話
私たちは、消火・救助(きゅうじょ)活動をしたり、そのための訓練(くんれん)をしたりしています。通報(ほう)をうけてから、早く現場(げんば)にかけつけられるようにふだんからそなえをしています。また、火事がおきないように、学校、病院、デパート、工場、ガソリンスタンドなどを調べて回る仕事(予防査察(よぼうささつ))をしています。台風などの災(さい)がいがあれば出動(しゅつどう)したり、急病の人やけが人のために救急車を出したりします。そのため、交たいで24時間きんむしています。はやく消火できたり、人を助けたりしたときは、「この仕事をしていてよかった」とやりがいを感じます。
119番の仕組み
119番の電話は、どのようなしくみになっているのでしょう。
火事や災(さい)がいがおき、119番通報(つうほう)をすると、通信指令室につながります。通報の内容によって、通信指令室から、消防しょ、消防団、警察しょ、ガス会社などに連絡(れんらく)されます。
通信指令室(つうしんしれいしつ) 関連資料リンク
119番に電話するときには次のことに気をつけて、ゆっくりはっきりと言いましょう。
・はじめに火事なのか救急(きゅうきゅう)なのかを言う。
・住所(じゅうしょ)、氏名、火事の様子などを言う。
(携帯(けいたい)電話から電話をかけるときには、今いる場所を正しく言う。)
消火活動の協力体制
大きな火事の時には消防自動車が足りなくならないのでしょうか。
大きな火事のときには、となりあっている市町村と協力する約束(やくそく)があります。連絡(れんらく)があるとすぐに出動し、消火の仕事をします。神奈川県の市町村だけではなく、町田市や八王子市、上野原市とも協力しあっています。
まわりの市や町との協力回数(令和元年中)
災(さい)がいの種類により、いろいろな消防自動車が出動します。
救助(きゅうじょ)工作車
水そう付ポンプ車
特殊災害対応自動車(とくしゅさいがいたいおうじどうしゃ)
はしご車(37mまでのびます)
指揮者(しきしゃ)
高所救助車(きゅうじょしゃ)(15mまでのびます)
重機(じゅうき)はん送車(そうしゃ)
学校の消防せつび
学校ではどのように火事にそなえているのでしょう。
学校には、火事にそなえてどのようなせつびが、どこにあるのかを調べてみました。みなさんの学校では、どんなせつびを見つけることができますか?
煙感知器(けむりかんちき)
熱感知器(ねつかんちき)
消火器(しょうかき)
屋内消火栓(おくないしょうかせん)
放送せつび
防火シャッター
誘導灯(ゆうどうとう)
防火用水となるプールの水
地域の消防しせつ調べ
火事に対して地域にはどのような消火しせつがあるのでしょうか。
消火せんや、防火(ぼうか) すいそうは、消火に必要(ひつよう)なしせつです。学区内のあちこちに標識(ひょうしき)や目印(めじるし)があり、火事のとき、水をとる場所がすぐにわかるようにしてあります。どこにあるのか、地図に書き入れました。
消火栓(せん)の目印
消火栓(せん)の標識
防火水そうの標識
消防しせつをさがしに
学区の地図
消防団のはたらき
消防団は、どのような仕事をしているのでしょう。
市内には6つの方面隊からなる消防団があります。消防団の人たちは、ふだんは自分の仕事をしていますが、火事や地震・大雨などの災(さい)がいの連絡(れんらく)がはいると、「自分たちのまちは、自分たちで守る」という強い気持ちをもって、急いで災(さい)がい現場(げんば)にかけつけます。消防団の人たちは、消防しょの人たちと協力して地域(ちいき)の人のために活動しています。
消防団の訓練(くんれん)
山火事にそなえて
消防出初(でぞ)め式(しき)
消防団の人の話
私たちは、ふだん別の仕事をしていて、無線やメールで出動命令が出たときには、消防しょの人たちと一緒に消火活動などをしています。火災予防運動や定期整備(ていきせいび)のときに「火の用心」をよびかけています。また、お祭りやどんど焼(や)きなど地域の行事のときにも警備(けいび)をしています。地域の人から「ごくろうさま」と声をかけてもらったときなどには、「みなさんの役に立ててよかった。」と思います。
火事をふせぐために
火事をふせぐためには、どのようにすればよいでしょう。
市内でおきた火事についての資料(しりょう)をもとに、相模原市ではどのくらいの火事が毎年おきているか、また、火事のげんいんは何かを調べてみました。
【市内でおきた火事のうつりかわり】
【火事のおきたわけ(令和元年中)】
令和2年度防火ポスターコンクール
最優秀賞
相模原市立九沢小学校5年
榎本 葵さん
学習をふり返(かえ)ろう
消防しょは、どのようにして火事からまちをまもっているのかをふり返り、私たちにできることはないか話し合いましょう。
2 事故(じこ)や事件(じけん)からまちを守る
相模原(さがみはら)市 事故発生件数
学習問題をつくろう
事故や事件からまちを守るしくみを調べるにはどうすればよいだろう。
相模原市は、72万人をこえる人たちの住む大きな都(と)市になりました。道路(どうろ)には車も多く走っています。車が走ることで、交通事故も起こります。交通事故は、いっしゅんにして、わたしたちの命をうばってしまうかもしれません。上の写真やグラフを見て、みなさんは、どんなことを考えますか?クラスみんなで話し合ってみましょう。
私たちはみんなで話し合ったことをもとに学習問題をつくりました。
学習問題に対して、みんなで予想を話してみました。
けいさつしょのはたらき
ひとびとの安全を守る活動の中心は、けいさつしょです。市内には、4つのけいさつしょがあります。また、41の交番やちゅうざい所があります。
交通整理(せいり)や、交通取りしまり、パトロールなどは、交通課(か)のけいさつ官(かん)がしています。
また、けいさつしょは、交通安全の仕事と同時に、私たちの安全を守るためにいろいろな活動をしています。
けいさつ官のしごと 交番やけいさつしょではどのような仕事をしているのでしょう。
わたしたちは、近くにある交番やちゅうざい所に行き、けいさつ官に話を聞いてみました。
けいさつ官の人の話
私たちは、パトロールをしたり、道をたずねられたときに案内したり、多くの仕事をしています。市民のみなさんが安全で安心してすごせるように日々がんばっています。私たちは、みなさんといっしょに安全なまちを作っていきたいと思っています。
110番のしくみ 事故や事件が起きたとき、パトカーがすぐにやってくるのはなぜでしょう。
交通事故(じこ)がおきたとき110番で知らせると、すぐパトカーや交番のけいさつ官がかけつけてきます。110番の連絡(れんらく)のしくみがどうなっているのか、調べてみました。
交通事故や、事件(じけん)などを知らせる110番の電話は、神奈川県のけいさつ本部の通信指令室(つうしんしれいしつ)につながります。通信指令室では、すぐ交番やパトカーに連絡します。
学校のまわりの様子
地域には、事故をふせぐために どんなしせつがあるのでしょう。
わたしたちは、自分たちの住(す)んでいる学校のまわりを歩いて、道路の様子や交通事故をふせぐためのしせつについて調(しら)べました。
安全なくらしのために 事故や事件を防ぎ、安全な生活をするためには、どんなことに気を付けたらよいでしょう。
わたしたちが、交通事故やはんざいにあわないようにするために、地域の人たちはどのような取り組みをしているのか調べてみました。
相模原市 小学生事故件数(けんすう)
相模原市 はんざい件数
学習をふり返ろう
けいさつしょや地域の人は、どのようにして事件や事故からまちを守っているのかをふり返り、私たちにできることは何かを話し合いましょう。
3年-4 わたしたちの市のあゆみ
1 変(か)わる道具とくらし
身のまわりには、どのような昔(むかし)の道具(どうぐ)があるのでしょう。
わたしたちは、学校にある昔の道具について調(しら)べてみることにしました。どのように使うのか、いつ頃(ごろ)のものなのかわからないときは、予想(よそう)してから調べてみることにしました。
わたしたちは、みんなで予想を出し合った後で、地域に住(す)んでいる人にインタビューしてみることにしました。
地域に住むおじいさんの話
これは、「火のし」という道具で、昔ながらの「アイロン」だよ。中に炭(すみ)を入れて服(ふく)のしわをのばすのに使われたんだ。その下は「お釜(かま)」だね。ご飯をたくのに使ったんだよ。二つの道具は、だいぶ昔から使われていたんだ。今とは大きな違(ちが)いだね。
昔の道具にきょうみをもったわたしたちは、ほかにも昔の道具がないか、調べてみることにしました。
学習問題をつくろう 昔の道具が使われていたころは、どのようなくらしをしていたのでしょう。
先生に昔の道具についてたずねると、木の板(いた)のような道具を見せてくれました。わたしたちはこの道具がどのように使われていたのか、いつごろ使われていたのか、予想(よそう)してから調(しら)べてみることにしました。
地域にすむおばあさんの話
これはせんたく板(いた)ね。昔のせんたくは、大きなたらいに水を入れて、この板を使ってせんたくをしたのよ。なかなか落ちないよごれはせっけんを使ってごしごしとあらったわ。冬の寒い時期(じき)はとても大変だったのよ。
昔の道具を使って 昔の道具はどのようにして、使われていたのでしょう。
どのように使うかわからない道具もあったので、教えてもらいながらじっさいに使ってみることにしました。
電気やガスを使った道具がなかったので、昔の人はちえをはたらかせ、くふうして生活していたことがわかりました。
わたしたちは、使った道具のスケッチといっしょに、使われていた時期(じき)や、昔のくらしについて考えたことを書き、絵カードとしてまとめてみることにしました。
【絵カードのれい】
絵カードのまとめ方
①道具の名前、道具が使われていた時代(じだい)、道具を見たりさわったりして気づいたことやぎもんに思ったことなどを書きこみましょう。
②道具が使われていた時期(じき)については、次のように分けるとよいでしょう。
・ひいおじいさん・ひいおばあさんが生まれ育ったころ(およそ100年くらい前)
・おじいさん・おばあさんが生まれ育ったころ(およそ60~80年くらい前)
・お父さん・お母さんが生まれ育ったころ(およそ30~40年くらい前)
・わたしたちが生まれ育ったころ(10年前から今)
明治(めいじ)時代から今にいたるまでの元号(げんごう)のうつりかわり
くわしくは巻末しりょうのページにて
博物館(はくぶつかん)や資料館(しりょうかん)をたずねて 博物館や資料館には、どのような昔の道具があるのでしょう。
せんたく板やしちりんいがいの昔の道具を調べるため、わたしたちは、博物館や資料館をたずねてみました。昔の道具を使う写真を見ながら、今の道具とのちがいをくらべてみました。わからないことはインタビューをして調べてみました。
布のしわをのばす道具
ご飯をたく道具・保温(ほおん)する道具
音楽をきく道具
通信(つうしん)や録音(ろくおん)する道具
博物館の人に見せていただいた昔の道具を使う様子の写真
電気せんたく機(き)のしぼり機(き)を使用する様子 1952年(昭和27年)ころ
当時の電気せんたく機は、脱水をする機能(きのう)がついていなかったため、せんたく物はローラー式のしぼり機にかけて水切りをした。
テレビのある茶の間の様子 1959年(昭和34年)ころ
テレビは茶の間におかれ、一家だんらんのご楽にかかせない道具となった。
「市史現代図録編」から転載
博物館の人の話
日本がゆたかになっていくと、いろいろな道具が家庭(かてい)で使われるようになったんだよ。その中でも、「電気せんたく機」「電気れいぞう庫」「白黒テレビ」が三種の神器と呼ばれ、大人気だったんだ。相模原においても、各家庭にこれらの電化製品が広まったんだよ。
電気せんたく機
電気れいぞう庫
白黒テレビ
2 市のうつりかわり
昔と今のちがい 昔と今のちがいをくらべてみよう。
わたしたちは、昔の道具を調べているときに、昔の写真を何まいか見つけました。先生が見せてくれた今の写真(しゃしん)と見くらべて、昔と今のちがいを話し合ってみることにしました。
学習問題をつくろう
相模原市のあゆみについて知り、学習問題を考えよう。
大きくなった相模原市
昔の様子にきょうみをもったわたしたちは、先生に昔の相模原市の様子についてたずねてみました。すると、先生が2つの地図を見せてくれました。
資料 <相模原市が大きくなった>
旧(きゅう)相模原市は昭和(しょうわ)29年にたんじょうしました。旧相模原市は、今とちがい、小さかったのです。平成に入り、みんなで話し合い、旧津久井郡の4つの町と相模原市はがっぺいをしました。そして、"新相模原市"がたんじょうしたのです。今、みんなが住(す)んでいる相模原市にもれきしがあるのです。
土地の様子のうつりかわり
相模原市の土地利用の様子は、どのようにして変わってきたのでしょう。
相模原市の土地利用の様子
わたしたちは、土地利用の様子が気になったので、先生に大正時代のころの地図を見せてもらいました。すると、今とはちがい、緑が多いことにおどろきました。地図からわかることを、ともだちと話し合ってみることにしました。
大正期の旧相模原(さがみはら)市
川和じまの着物(中野)
ようさんの様子
お話 養蚕(ようさん)の町
旧相模原市や旧津久井郡は、養蚕(ようさん)がとても盛んでした。町の中心地であった上溝をはじめ、田名や旧津久井郡などの農家(のうか)の人びとも、たくさんのかいこをかうようになりました。まゆから生糸(きいと)をとり、自分の家で、はたおりをする家もありました。中野地域を中心として、「川和じま」というおり物もおられていました。しかし、養蚕を行う人が減り、住宅や工場などができ、くわ畑がへっていきました。その代わりに、道路がせいびされるなど、今のまち並みのもとができあがっていきました。
生糸の市場(明治20年)
土地の様子のうつりかわり
土地の様子はどのようにして、変(か)わってきたのでしょう。
わたしたちは、大正時代より後の相模原(さがみはら)市の土地の使われ方の変化を調べてみることにしました。すると、くわ畑などがへっていることがわかりました。昔との生活の様子のちがいに大変おどろきました。
<じゅうたく地や工場がふえた?!>
旧相模原市は、高度けいざい成長(せいちょう)期というものをむかえ、畑だったところなどに、工業団地(だんち)やじゅうたく地などが多くつくられました。くわ畑も、げんしょうの一歩をたどりました。
1960年代の旧相模原市
旧津久井郡にくわしい人の話
昭和30年ころになると、農家では畑仕事にトラクターを使うようになり、手作業よりもたくさんの仕事が楽にできるようになりました。また、昭和40年に津久井湖ができたころから、次第(しだい)に道路も整(ととの)い、交通も便利になってきました。となりの相模原市に工業団地がつくられたことから、そこではたらく人も増えました。
トラクター(津久井)
小倉橋(おぐらばし)(城山)
相模原市の道路や交通のうつりかわり
相模原市の道路の様子はどのように変わってきたのでしょう。
道路のうつりかわりわたしたちは、相模原市の道路の様子について調べてみることにしました。
先生にお願いをすると、昔の写真と今の写真を見せてもらうことができました。写真を見くらべながら、気づいたことをみんなで話し合ってみました。
城山地区久保沢 交通量(りょう)が多くなったためにつくられたバイパス
青根平丸トンネル
交通のうつりかわり
相模原市のバスや鉄道はどのようにして、変わってきたのでしょう。
昔の鉄道や交通の変化 道路のようすから、交通の変化にきょうみをもったわたしたちは、続いて、昔の鉄道とバスについて調べてみることにしました。淵野辺(ふちのべ)駅の今とのちがいにとてもおどろきました。
| と き | 主なできごと | |
|---|---|---|
| 明治 | 34年 | 中央本線与瀬駅(現:相模湖駅)が開通する |
| 41年 | 生糸を運ぱんするため、 横浜鉄道(現:横浜線)が開通する |
|
| 大正 | 10年 | バスの交通がはじまる |
| 昭和 | 2年 | 小田原急行鉄道(現小田急線)が開通する |
| 4年 | 小田急江ノ島線開通 | |
| 6年 | 相模鉄道(現相模線)が開通する | |
| 19年 | 中野営業所(三ケ木バスターミナル)開設 | |
| 46年 | 中央自動車道が開通する | |
| 平成 | 2年 | 京王相模原線が開通する |
| 26年 | さがみ縦貫道路が開通する ※後に、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)となる。 |
|
| 令和 | 9年 (予定) |
リニアモーターカーが橋本駅周辺に開通予定 |
旧津久井郡には、明治時代から中央本線が走っています。
汽車(中央本線)
与瀬(よせ)駅(現:相模湖駅)
昭和58年ころ バスの路線をふやしている
緑区にある三ケ木バスターミナル 愛川町や山梨県などとつながっている
げんざいのバスや鉄道の路線図(ろせんず)
人口のうつりかわり
がっぺいしたあとの相模原市の人口はどのように変化したのでしょうか。
相模原市の人口の変化
相模原市の人口が気になったわたしたちは、先生にたずねてみました。すると、人口のグラフを見せてくれました。
その人口のグラフを見て、気づくことを話し合ってみることにしました。
新相模原市の人口のうつりかわり
<政令指定都市(せいれいしていとし)に!>
相模原市は人口70万人を超え、県内で3番目の政令指定都市(せいれいしていとし)となりました。
新相模原市がたんじょうしたことにより、新たに「緑区・中央区・南区」の3つの区に分けられました。
国籍別(こくせきべつ) 外国人人口
相模原市「統計書」より作成
国際化(こくさいか)が進み、外国からたくさんの人がうつり住むようになってきました。
公共(こうきょう)しせつのうつりかわり
公共しせつはどのようにして、変わってきたのでしょう。
公共しせつができたころ
先生が一枚の写真をもってきてくれました。よく見ると、それは相模原市民会館の写真でした。今とのちがいは何か、わたしたちは先生にしつもんをしてみることにしました。
市立図書館が完成する 鹿沼台(昭和49年)
<お話 図書館ができた>
図書館は以前、市民会館にありました。しかし、たくさんの人が本を読むようになったり、本を置くスペースがせまくなってきたりしたことにより、新しい図書館が昭和49年につくられました。それが、今も鹿沼台(かぬまだい)にある「市立図書館」です。市立図書館がたてられたことにより、よりたくさんの人が本に親(した)しむようになりました。また、図書館いがいにも、体育館や博物館といった、さまざまな公共しせつがたてられ、人々の生活がゆたかなものとなっていきました。それらの公共しせつをたてるために、市民のぜい金が使われています。
相模湖交流センター
津久井文化福祉会館
年表にまとめてみよう
道具や土地の様子、交通などをもとに、わたしたちの市のうつりかわりを絵年表にまとめてみよう。
わたしたちは、今まで調べたり、くらべたりしてきたことを年表(ねんぴょう)にまとめることにしました。年表には、道具や道路、まちのうつりかわりの様子などを書きいれることにしました。
年表の書き方
①左から古い順に書くようにしましょう。
②道具や土地の様子など、こう目をいくつかにわけて書きましょう。
③つくった絵カードなどを参考に書きましょう。
4年-1 県の地図を広げて
平塚たなばたまつり
横浜中華街
三崎(さき)漁港(ぎょこう)
小田原城
箱根寄木細工
他県のおみやげの包み紙
自分たちが住む相模原(さがみはら)市だけでなく、神奈川県全体がどうなっているかを知りたくなりました。
そこで、行った場所や知っている場所の写真・パンフレット・みやげ物の包(つつ)み紙などを持ちよりました。そして、それらを利用して、県のイラストマップをつくることにしました。
イラストマップの作り方
①行ったことのある場所の写真・パンフレット・みやげ物の包み紙などを集める。
②県の白地図にわたしたちが住んでいる相模原市を書き入れる。
③県の主な市町村や川なども書き入れる。
④集めた写真やパンフレットなどを地図にはりつけて、かんたんな説明やイラストを入れる。
しかし、持ってきた写真やパンフレット・みやげ物の包み紙を調べてみるとわたしたちが住む神奈川県以外のものもありました。
1 神奈川県はどこ
日本の地図を開いてみよう
神奈川県は、日本のどのあたりにあるのでしょう。まわりには、どんな県があるのでしょう。
わたしたちは、日本地図を開いて神奈川県がどこにあるのかさがしてみました。また、他の46の都道府県(とどうふけん)も地図帳(ちずちょう)で調べながら、白地図に書きこみました。
①神奈川県に赤色をぬりましょう。
②神奈川県のまわりの都道府県を調べましょう。
③「都」に青色、「府(ふ)」に黄色、「道(どう)」に緑色をぬりましょう。
日本の地図でさがしてみよう
地図帳で都道府県の特ちょうを見つけましょう。
地図帳で調べていると、海に囲まれている県や海がない県があることが分かりました。
海に囲まれている…沖縄県、北海道
海がない…栃木県、埼玉県、群馬県、山梨県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県
また、地図帳の後半の資料(りょう)を見ると都道府県の特産品(とくさんひん)が分かりました。
<都道府県カルタをしましょう>
① 都道府県の特産品や特徴(とくちょう)を調べましょう。
② 取り札に特産や特徴をイラストで描きましょう。
③ 読み札(ふだ)の最初の一文字を取り札にも書きましょう。
④ 問題を出して、みんなで答えましょう。
2 神奈川県の地図を広げて
神奈川県の地図を開いてみよう
相模原(さがみはら)市は、神奈川県のどこにあり、相模原市のほかにどんな市があるのでしょう。
わたしたちは、神奈川県の地図を開いて相模原市がどこにあるのかさがしてみました。また、神奈川県の知っている場所の写真や絵はがきを持ちより、県の地図で場所をさがしてみました。イラストマップにまとめ、県全体の様子について気がついたことを話し合いました。
地図帳と八方位
神奈川県の市町村の位置について調べ、八方位(はちほうい)でゲームをしましょう。
わたしたちは、地図帳を開いて、神奈川県の形や市町村について調べ、白地図にまとめてみました。
①相模原市に赤色をぬりましょう。
②相模原市のまわりの市町村を調べましょう。
③市に青色、町に黄色、村に緑色をぬりましょう。
④行ったことのある市町村を書き入れましょう。
地図帳で場所を表すときには、上や下、右や左といわずに、北や南、東や西を使います。そして、南と東の間をいうときには、南東といい、方角のよび方を「八方位(はちほうい)」といいます。
<八方位ゲームをしよう>
①八方位を使って県内の場所を当てる問題を作りましょう。
②問題を出してみんなで答えましょう。
③神奈川県のまわりにある県を当てる問題を作りましょう。
④問題を出して、みんなで答えましょう。
神奈川県の土地の様子
神奈川県の土地の様子について調べましょう。
神奈川県のもけい地図を見ると、西の方が高い山地になり、東から南にかけては平らな土地になっています。土地の高さを地図で表すとどうなるのでしょう。
【発展(はってん)】巨大立体地図(きょだいりったいちず)を作ってみたよ①
①拡大(かくだい)した地図の下にカーボン紙を入れ段ボールに写し取ろう。
②段ボールを写し取った線にそって切り取ろう。
③段ごとに色をぬろう。
土地の高さの表し方
等高線の見方を覚えよう。
等高線(とうこうせん)は、海面からの高さが同じ所を結んだ線です。土地の高さやかたむきを知ることができます。等高線の間は、同じ色がぬられているので、見ただけでだいたいの形がわかるようになっています。
等高線がこんでいる所は、かたむきが急な場所です。
(左図のアの部分)
反対に、等高線の間が広い所は、かたむきがゆるやかな場所です。
(左の図のイの部分)
やってみましょう
等高線を読み取って自分で書いてみよう。
縮尺(しゅくしゃく)について
縮尺から実際の距離を調べてみよう。
小さな紙の地図の上に、広い土地の様子を書くためには、じっさいのきょりをちぢめて書かなければなりません。そのちぢめたわりあいを縮尺(しゅくしゃく)といいます。
たとえば、しゅくしゃく5万分の1の地図などといいます。実際(じっさい)には、1kmあるところでも縮尺5万分の1の地図では、わずか2cmにあらわすことができます。
実際のきょりを知るには、地図についている「ものさし」を使ってはかるとべんりです。
やってみましょう
地図に入っている縮尺をしめすものさしを使って、距離をはかってみよう。
【発展】巨大立体地図を作ってみたよ②
神奈川県の農業
神奈川県の農業について調べましょう。
わたしたちは、地図帳や資料(しりょう)を使い、どこにどんな農産物(のうさんぶつ)があるか調べて、白地図にまとめました。そして、気づいたことを話し合いました。
三浦半島の畑の様子
神奈川県の工業
神奈川県の工業について調べましょう。
つぎに、神奈川県の工場で作られている製品(せいひん)について調べ、白地図にまとめました。神奈川県には、たくさんの工場があり、いろいろな製品を作っています。横浜市や川崎市の大きな工場が集まっているところは、全国的にも有名です。
(出典:神奈川県県土整備部調べ)
自動車工場
石油工場
神奈川県の交通
神奈川県の交通の様子について調べましょう。
わたしたちは、県内でつくられたものが他の地域へどのように運ばれていくのかを調べました。そして、地図帳や資料(しりょう)を使って、主な道路や鉄道を調べ、白地図(はくちず)にまとめました。
<神奈川県の主な交通マップ>
4年-2 健康なくらしとまちづくり
わたしたちは、毎日健康(けんこう)なくらしをしたいと願(ねが)っています。しかし、何の心配もなく使っている水道水が、よごれたり、出なくなったりしたら大変(たいへん)です。また、川がよごれたり、ごみが大量(たいりょう)に出たりすることも心配です。
そこで、わたしたちは、毎日のくらしになくてはならない水やごみのしょ理について調べることにしました。
1 くらしと水
家庭での水の使用量
わたしたちは、「どんなこと」に「どれくらいの量」の水を使っているでしょうか。
わたしたちは、家庭で「どんなこと」に「どれくらいの量」の水を使っているのかを調べることにしました。
わたしは、1日に L の水を使っている!
学習問題を作ろう!
わたしたちは、ふだん使っている水について、知りたいことやぎ問に思うことを出し合い、学習問題を作ることにしました。
水はどこから
水はどこから、どのようにして送られてくるのでしょうか。
「わたしたちが使う水は、どこからどのようにして送られてくるのだろう。」という学習問題について、資料をもとに調べることにしました。
ダムと浄水場(じょうすいじょう)
ダムと浄水場にはどんなはたらきがあるのでしょうか。
わたしたちが使っている水は川からとっていて、その水はダムや浄水場を通ってきていることが分かりました。
相模原市の浄水場
谷ヶ原(たにがはら)浄水場
相模原浄水場
浄水場の見学
浄水場では、どのようにして水をきれいにしているのでしょうか。
わたしたちは浄水場を見学して、どのようにして水をきれいにしているのか、くわしく調べることにしました。
浄水場の人の話
川から取り入れた水には、土やすな、ざっきんが入っているので、そのままでは飲めません。浄水場では、まず薬を使って土やすなを固(かた)めます。次にゆっくりと水を流してしずめてきれいな水を取り出し、しょうどく薬を入れて飲める水にします。そして、その水を配水池に送って、配水池からみなさんの家庭にとどけているのです。
安心して飲める安全な水を作るためには、広い場所と大きなせつび、多くの手間とお金がかかります。
森林やダムのはたらき
森林やダムは、どんなはたらきをしているのでしょうか。
浄水場をさかのぼっていくと、浄水場につながる川の上流には、森林やダムがありました。
森林やダムは、どのようなはたらきをしているのかを調べることにしました。
森林の働(はたら)き
森林に雨が降ると、木々は根に雨水をためて、少しずつ川に流すはたらきをしています。また、山の土やすなが川にくずれ出すことをふせぐ働(はたら)きもしています。森林は、水のふるさとといえます。
ダムの働(はたら)き
ダムは、川から流れてくる水をためたり流したりして、川の水の量を調節(ちょうせつ)しています。台風や大雨の時には水をためてこう水(ずい)がおこらないようにし、雨が少ない時には水を流して水不足(みずぶそく)にならないようにするのがダムの役目です。
ダムがあることで川のはんらんをふせぐことができ、いつも安定した量の水を浄水場に送ることができるのです。
水道ができる前
水道ができる前は、どのようにして飲める水をとっていたのでしょうか。
わたしたちが使う水は、浄水場できれいにしてくれていることが分かりましたが、浄水場ができる前はどのように飲める水をとっていたのでしょうか。
むかし使われたつるべ井戸
相模原の人びとは、むかしは水で大変な苦労(くろう)をしました。川の水やわき水を使ったり、井戸をほったりして、水を手に入れていました。井戸からきれいな地下水をとるためには、20mから30mも深いあなをほらなければなりませんでしたが、日照(で)りが続くと井戸がかれてしまう(水が出なくなってしまう)こともありました。
大切な水
これからも安全できれいな水を使い続けることができるように、わたしたちができることを考えましょう。
わたしたちが毎日あたりまえに使っている水は、多くの手間とお金をかけているものであり、かぎりのある大切なものです。これからもきれいな水を使い続けるために、わたしたちができることはどのようなことでしょうか。
令和2年度 水道に関する作品コンクール 優秀賞 〈神奈川県企業庁長賞〉 相模原市立大沼小学校 渡辺 悠生
さん
しりょう
潤水都市(じゅんすいとし)さがみはら
【潤水都市さがみはらのロゴマーク】
相模原市のSの字を「右肩(かた)上がりの勢(いきお)いある葉っぱに見立て、自然(しぜん)の優(やさ)しさと都市の活気を緑色で表現(ひょうげん)」、その隣(となり)に水を思わせる塊(かたまり)を配置し「緑が水を守り、水が緑を守る」という意味が込(こ)められています。
わたしたちの相模原市は、市域の約6割を森林が占める自然ゆたかな政令指定都市(せいれいしていとし)で、潤水都市(じゅんすいとし)とよばれています。市内には、富士山のすぐ近くにある山中湖をみなもととした相模川や、その支(し)流の道志川(どうしがわ)が流れていて、相模湖、津久井(つくい)湖、宮ヶ瀬(みやがせ)湖などの湖があり、ゆたかな水を有する水源林(すいげんりん)があります。
この水源の水は、わたしたちの生活だけでなく、神奈川県の他の地域の人々の生活にも使われていて、市民だけでなく県民の生活の支(ささ)えになっています。県内の水源エリアの約3割にあたるゆたかな水源をもつわたしたちの相模原市は、水で潤(うるお)う都市、潤水都市(じゅんすいとし)なのです。

清らかな水が流れる相模川
相模川(さがみがわ) 関連資料リンク
相模川には、毎年数百万びきのアユが海からやってきます。アユは清流にすむ魚と言われていて、きれいな水の中でしか生きられません。これからもたくさんのアユがすむきれいな川にしたいですね。
【相模原市のダム周辺の公園しせつと資料館】
相模原市には3つのダムがあり、ダムの周辺(しゅうへん)には大きな公園やダムのことを学ぶことができる資料館があります。休日は公園をおとずれる人が多くいて、宮ヶ瀬ダムではダムの水を川に流すダイナミックな放流の様子を見ることもできます。
相模ダム(相模湖)
県立相模湖公園
相模原市緑区与瀬317-1
☎042-684-3276
(公園管理事務所)
相模湖記念館(相模湖交流センター内)
相模原市緑区与瀬259-1
☎042-682-6121
城山ダム(津久井湖)
津久井湖記念館
相模原市緑区城山2-9-5
☎042-782-2414
宮ケ瀬ダム(宮ケ瀬湖)
県立あいかわ公園
愛甲郡愛川町半原5423
☎046-281-3646(あいかわ公園パークセンター)
宮ケ瀬ダム水とエネルギー館
愛甲郡愛川町半原字大沢5157
☎046-281-5171
2 くらしとごみ
相模原市のごみの量
ごみは、どこから来て、どのようになるのでしょうか。予想を立てましょう。
相模原市全体のごみの量(令和3年度)は、1年で179,530トン(1日で約492トン)になります。
毎日ごみしゅう集車246台分のごみが出されています。
学習問題を作ろう!
わたしたちが生活する上で、毎日多くのごみが出されます。わたしたちは、ごみ置き場に出されたごみの多さにおどろきました。そして、いろいろなぎ問を出し合って、学習問題を作ることにしました。
家から出るごみ
家からは、どのようなごみが出されるのでしょうか。
「わたしたちが出したごみや資源(しげん)はどこに行き、どのようにしょ理されるのだろう。」という学習問題を作り、まず家からどんなごみが出されるのかを調べることにしました。
ごみしゅう集車を追って
[資料1][資料2]
ごみはどのように集められているのでしょうか。
わたしたちが出したごみは、ごみしゅう集車で集められます。市内から出るたくさんのごみをどのように集めているのかを調べました。
家から出されたごみを集めるのは、市の仕事です。市内にはごみ置(お)き場が約18,000か所あり、決められた曜日にごみしゅう集車が回ってごみを集めています。
ごみしゅう集作業をしている人の話
相模原市は約60台のごみしゅう集車により、それぞれの車が地域を決めてごみを集めています。できるだけむだなく、早く多くの場所を回るようにするため、道路のこみ具合いや、ごみ置き場のごみの多さを考えて道じゅんを決めています。ごみをしゅう集しているとき、ごみぶくろの中にびんやかんなど資源になるものが入っているのを見つけると、ざんねんな気もちになります。資源として出してもらえれば生まれ変わってみんなにまた使ってもらえるのに、ごみの中に入れられてしまうと、せっかくの資源がむだになってしまいます。
一般ごみとして出されたごみぶくろの中身を調べてみると、資源が約30%含まれていることがわかります。
そのまま出されてしまう全ての資源を分別できれば、1年間でごみしゅう集車約17,000台分のごみをへらすことができます。
清そう工場の見学
清そう工場では、ごみをどのようにしょ理しているのでしょうか。
ごみしゅう集車によって集められたごみは、清そう工場に運ばれます。わたしたちは、緑区の下九沢(しもくざわ)にある北清掃工場(きたせいそうこうじょう)を見学することにし、行く前に何を調べるのかを話し合いました。
北清掃(せいそう)工場
清そう工場のえんとつ
リサイクルスクエア
清そう工場では、ごみをもやした熱(ねつ)で発電し、機械(きかい)を動かすための電気に使っています。
また、ごみをもやした熱は、むだにせず、温水プールなどのしせつにも利用(りよう)されています。
ごみの重(おも)さをはかるところ(図①)
投入(とうにゅう)ゲート(図②)
クレーン操作(そうさ) 室(図③)
ごみクレーンとピット(図④)
中央管制(ちゅうおうかんせい)室
清そう工場の人の話
「ごみをもやすとごみがなくなる」と考えている人もいるようですが、そうではありません。100kgのごみをもやすと、約15kgの灰(はい)になります。相模原市では灰の一部を高温でとかし、スラグ※1をつくっています。スラグの一部は、道路をつくるときの材料としてリサイクルされています。
もやしたあと残った灰と、ガラスなどのもえなかったものと、利用されなかったスラグは、うめ立て地に運んでうめています。しかし、今のうめ立て地はもうすぐいっぱいになってしまいます。
うめ立て地を長く使うためにも、このようなことを市民ひとりひとりが知り、ごみの量を少なくしていく努力が必要です。
※1 スラグ・・・無害(むがい)な砂状(すなじょう)のもの。
うめ立て地(最終しょ分場)
清そう工場では、もやされたごみの灰はどうなるのでしょうか。
清そう工場でもやされたごみの灰やスラグは、うめ立て地(最終しょ分場)というところに行くことが分かりました。わたしたちは、うめ立て地(最終しょ分場)がどんなところなのかを調べました。
うめ立て地(最終しょ分場)を作るには、広い土地とたくさんのお金がかかります。もし、うめ立て地がいっぱいになり、次のうめ立て地ができなかったらごみの行き場がなくなり、道路や街(まち)にごみがあふれてしまう可能性(かのうせい)があります。
資源のリサイクル
資源は、どのようなものに生まれ変わるのでしょうか。
一般ごみは清そう工場でしょ理されることが分かりましたが、資源になるものは出された後はどうなるのでしょうか。わたしたちは、どのようなものに生まれ変わるのかを調べることにしました。
ごみしょ理のうつり変わり
ごみしょ理の仕方は、どのように変わってきたのでしょうか。
今は清そう工場でごみをしょ理していることが分かりましたが、清そう工場ができる前はどうしていたのでしょうか。わたしたちは、ごみしょ理の仕方がどのように変わってきたかを、近所のお年よりに聞いて調べてみることにしました。
近所のお年よりの話
昔、ごみのしょ理は、みんな自分の家でしていました。生ごみは家ちくのえさにしたり、あなにうめたりしてしょ理しました。
また、もやせるごみは、庭でもやしていました。それに、今とくらべるとあまりごみは出ませんでした。昔は買い物かごをもっていって買い物をしていて、品物はパックなどに入って売っていませんでした。今は、昔にくらべて買い物をするのに便利(べんり)になったけれど、ずい分捨てるものが多くなりました。また、住む人の数も多くなったので、ごみもふえてきたのでしょう。
これからのごみしょ理
ごみをしょ理するために、わたしたちができることを考えましょう。
これまでにごみと資源について学んできましたが、わたしたちは、これからのごみしょ理のためにできることがあると考え、生活の中でできることについて話し合うことにしました。
家庭でごみをへらすためのくふう
ごみを出す時に気をつけること
しりょう
シゲンジャーといっしょに4Rでごみをへらそう!
1人1日、レモン1個分のごみ(100g)をへらそう!
Refuse〈リフューズ〉
不必要(ふひつよう)なものは買わない、使わない
▶買い物にはマイバックを利用する
▶使い捨てのわりばしはもらわない
Reduce〈リデュース〉
ごみになるものをへらす
▶つめかえ商品を買う
▶食べ残(のこ)しをしない
Reuse〈リユース〉
ものをくりかえし使う
▶こわれたものは、しゅうりして使う
▶フリーマーケットなどを利用(りよう)する
Recycle〈リサイクル〉
再び資源として使う
▶資源は必ず分別(ぶんべつ)する
▶生ごみを堆肥化(たいひか)する
相模原市内のみんなが1人1日に出すごみを100gへらすことができたら、1年間に学校のプール約220杯(はい)分(約26,000トン)のごみをへらせます。うめ立て地が4~6年長く使えます。ごみしょ理にかかるお金が年間で2~3億円ていどへります。地球温暖化(おんだんか)のぼうしにもつながるので、分別をしっかりしてごみをへらしましょう。
循環型(じゅんかんがた)社会をめざして
じゅんかんがた社会のしくみ
1 発生よくせい(リフューズ・リデュース)
発生よくせいは、ごみをなるべく出さないこと。みんな、まだ使えるものを捨(す)ててない?
ものを大切に使い、出てくるごみを出来るだけへらそう!
2 再使用(さいしよう)(リユース)
再使用とは、飲み物のびんのように、くり返し使うこと。
出来るだけ再使用しよう!
3 再生利用(さいせいりよう)(マテリアルリサイクル)
再使用できないものは、資源としてリサイクルしよう!紙パックがトイレットペーパーになったりするよ。
4 ねつ回収(サーマルリサイクル)
資源として使えないものは、もやしてその熱を利用するんだよ!
5 適正しょ分(てきせいしょぶん)
どうしても捨てるしかないものは、かん境をよごさないように、きちんとしょ分するんだよ!
4年-3 自然災(さい)がいにそなえるまちづくり
わたしたちは学校やそのまわりにある看板(かんばん)やしせつについて気づいたことを話し合いました。
●地域の防災くんれんに参加したことがあるよ。
●大雨の時に学校の体育館に家族みんなでひなんしたよ。
●3年生の時に学習した事故や火災とちがって、天気などの自然災がいによって起こるものもあるね。
●自然災がいは、いつ、どこにいる時に起こるかわからないものもあるね。
●建物の中には何が入っているのだろう。
わたしたちは、自分の地域でどんな自然災がいが起こるか考えてみました。そして、自然災がいにそなえる地域の取り組みについて、調べてみました。
1 わたしたちの地域の自然災がいにそなえるまちづくり
自然災がいにはどんなものがあるだろう
相模原市で過去に起きた自然災がい
相模原市内では、※風水害(ふうすいがい)や地震による被害(ひがい)が過去にありました。
※風やこう水などによる災がいのこと
天候の動きによる自然災がい
洪水(こうずい) 大雪 強風・竜巻(たつまき) 雷(かみなり)
地下や地上の動きによる自然災がい
地震(じしん) 土砂(どしゃ)
○大雨による被害
相模原市内にあるアメダス観測所(かんそくじょ)2カ所(相模原中央観測所、相模湖観測所)のデータによると、5月~10月に降水量(こうすいりょう)が多くなっています。
近年では、「台風」や短時間の「集中豪雨(ごうう)」によって大きな被害が出ることがあります。
相模原市防災アセスメント調査より
下のグラフを見ると相模原市はこれまでの気象災がいの回数を10年ごとに見ると1992年(平成4年)までは台風災がいが半数以上を占めていたのに対し、最近では、台風は4分の1程度と少なくなり、代わって、大雨や強風の被害が増えてきています。
相模原市防災アセスメント調査より
○地震による被害
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、相模原市内でも多くの被害が出ました。多くの被害が出た東北地方へ相模原市から食料品などの支援物資(しえんぶっし)を送り、多くの市の職員やボランティアの方が復興(ふっこうの)ためのお手伝いに行きました。
3月11日 14時46分 地震発生 19時 仙台市へ消防隊派けん
市内鉄道が全て運休(鉄道停車駅で帰宅困難者(こんなんしゃ)発生)
電話がつながりにくくなる 一部地域で停電
12日 一部電車が復旧
13日 計画停電実施を発表
被災地へ救援物資配送はじまる被災地へ市の職員を派けん
14日 計画停電実施により一部鉄道が運休
相模原市の災がいへの取組
市役所で聞いてみよう
わたしたちは、災がいにそなえるための取組について市役所へ行って調べてみました。市役所には、災がいにそなえる取組を進めたり、災がいの発生時に協力を求めたりする専門の係の人がいます。
市役所で働く人の話
相模原市では、台風や集中豪雨により床上(ゆかうえ)・床下(ゆかした)しん水などの被害が発生しています。
国や県と協力して、天気などの最新の情報を集め、災がいにそなえています。
大雨によって万が一、川がはんらんした場合に、地域のしん水するおそれのあるエリアや、ひなん所はどこかなど、防災(ぼうさい)無線や安心・安全メールで最新の情報を発信します。「防災ガイドブック」や大雨時のひなん行動に役立てる資料として「洪水ハザードマップ」を発行して、日ごろから注意を呼びかけています。
防災ガイドブック
洪水ハザードマップ
ひばり放送
大地震発生時やけいかい宣言(せんげん)が発せられた場合などに、全市内いっせいに、同じ情報を放送します。
また、出火防止など二次災がい防止の呼びかけ、地域ごとのひなん誘導(ゆうどう)や被害状況(じょうきょう)、ひなん生活情報を放送するなど、情報を伝える大切な方法となっています。
ひばり放送
神奈川県の自然災がいへの取り組み
相模原市での災がいへの取り組みを調べてきましたが、神奈川県内ではどのような取り組みが行われてているでしょうか。
下の年表は、県内で起きた自然災がいの件数を表しています。
風水害によって大きな被害が出た回数は青い丸(●)、震度5以上の地震による大きな被害が出た回数は赤い丸(●)で表しています。この表からそれぞれの時代で自然災がいが起きていることがわかります。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では神奈川県内でも大きな被害が出ました。2015年(平成27年)には箱根町で、火山による被害が出たこともありました。
神奈川県では、お便りやインターネットなどで、日ごろから災がいに対するそなえについて、呼びかけています。気象庁や国とも連けいをして、情報を共有(きょうゆう)しています。
国や県や市が協力しながら防災の取り組みをしています。お家でも災がいにそなえてできることはないでしょうか。
家族一人ひとりができること
わたしたちにできることお家の人と防災について話をしてみましょう。
日ごろから、災がいが起きたときの役割(やくわり)について、非常用品の持ち出し、火の元の確認など役割について決めておきましょう。
お家の危けんな場所、お家のまわりや通学路の危けんな場所をチェックしましょう。
家のまわり、家屋や室内の危けんな場所について確認し、しゅうりや補強(ほきょう)の必要があるかについても話し合いましょう。家の外への出口を確保(かくほ)したり、家具の転とうや物品の落下を防(ふせ)ぐ方法を考えたりしましょう。
防災ガイドブックS(4・5・6年生向け)
非常用品の確認
飲料水(1人1日3リットルを目安)や保存のきく食料を最低3日分は確保(かくほ)し、また加熱器具、かい中電灯(でんとう)、けいたいラジオなども用意し、電気、水道、ガス、電話などが使えなくなった場合にそなえましょう。
災がい時の連絡(れんらく)方法や避難場所を確認しておきましょう。
家族がはなれてしまったときに集まる場所や、避難コースの道順についても話し合いましょう。 災がいがおきたときには、市や消防などの救助活動(公助(こうじょ))や、近所の人などと協力する(共助(きょうじょ))、自分の命を守る(自助(じじょ))ことを大切にしていきましょう。
4年-4 地域(ちいき)で受けつがれてきたもの
きらりさんは、夏休みに茅ヶ崎(ちがさき)のおじさんの家に遊びに行きました。その時初めて「浜降祭(はまおりさい)」というお祭りを知り、神奈川県で昔からつづけられているいろいろなお祭りや行事について調べてみることにしました。
❼上溝夏祭り(相模原市上溝)[資料1][資料2][資料3]
毎年、夏に行われる昔から伝(つた)わるお祭りです。町の人びとが健康(けんこう)で悪い病気がはやらないように、そして農作物がたくさんとれて、生活が豊かになるようにとの願(ねが)いをもっています。
A湯かけまつり(湯河原町)
江戸時代、効能(こうのう)がとても良い湯河原(ゆがわら)のお湯を将軍家(しょうぐんけ)にとどけることになりました。旅の安全をいのって湯をかけたのが始まりと言われています。
B小田原北條(ほうじょう)五代祭り(小田原市)
毎年、5月3日に行われます。武者隊(むしゃたい)、鉄砲隊(てっぽうたい)、まち衆隊(しゅうたい)からなる約1,700人の武者行列が練(ね)り歩きます。
C相模国府祭(さがみこうのまち)(大磯町)
約1,000年前、相模国(さがみのくに)の平和と農作物の豊(ほう)作を願って始まったと言われてます。船形の舞(ぶ)台の上で舞(ま)う、「鷺(さぎ)の舞(まい)」「龍(りゅう)の舞」「獅子(しし)の舞」が有名です。
D蛇(じゃ)も蚊(か)も祭(まつ)り(横浜市)
江戸時代から続く無病息災(むびょうそくさい)や子どもたちのすこやかな成長を願うお祭りです。かやで作った全長20mの大きなへびが町中を練(ね)り歩きます。
E鎌倉まつり(鎌倉市)
鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)で行われる「静(せい)の舞(まい)」、武士の格好(かっこう)をして馬に乗り矢をうつ「流鏑馬(やぶさめ)」が有名です。
F浜降祭(はまおりさい)(茅ヶ崎市)
毎年、7月下旬に行われます。農作物の豊作と人々の健康を願って、おみこしをかついで町内を練(ね)り歩きます。
❾大凧(だこ)(相模原市新磯) 地域のおじいさんの話
昔から子どもが生まれると、その成長(せいちょう)を願って、5月の節句(せっく)に大だこをあげてきました。今でも、大ぜいの人々が協力して14.5メートル四方もある大凧を何日もかかって作りあげています。わたしが生まれるずっと昔から続(つづ)いている行事なので、これからもずっと続いてほしいと願っています。
きらりさんは、相模原(さがみはら)市内のお祭りや行事についても調べてみることにしました。
藤野村歌舞伎(ふじのむらかぶき)(旧藤野町)
地域(ちいき)につたわる伝統芸能(でんとうげいのう)で、明治初期(めいじしょき)から町内各(かく)地で行われ農家(のうか)の人々が演じてきました。今では、保存会(ほぞんかい)の人が大切に伝えていこうとしています。
火(ひ)祭り(横橋(よこはし))
昔から秋葉神社(あきばじんじゃ)で行われている火祭りです。たいまつをたいて火災(かさい)の予防(よぼう)と安全を願って行われています。
与瀬神社例大祭(よせじんじゃれいたいさい)(与瀬(よせ))
宿場(しゅくば) に流行した悪い病気から旅人を守った神としてまつられています。
「与瀬の権現様(ごんげんさま)」の祭りとして人々に親しまれています。
川尻八幡宮(かわしりはちまんぐう)の夏まつり(川尻(かわしり))
毎年、8月に行われます。御輿(みこし)をかついで町内を練(ね)り歩きます。人々が健康で生活が豊かになるようにとの願いがこめられています。
神代神楽(じんだいかぐら)(上溝(かみみぞ))[資料1][資料2][資料3][資料4][資料5]
昔から、上溝(かみみぞ)の亀山家(かめやまけ)には、神代神楽がつたわっています。これは日本の古いお話をもとにしたげきです。
的祭(まとまち)(田名)[資料1][資料2][資料3]
毎年1月6日、田名八幡宮(たなはちまんぐう)で的祭が行われます。4人の男の子が矢を的(まと)に当て、当たり方でその年の養蚕(ようさん)や農作物の豊作(ほうさく)をうらなう行事です。
1 地域に昔から伝わるもの
昔から伝わるもの
地域に昔から伝わるお祭りや行事を調べてみましょう。
きらりさんが住んでいる新磯(あらいそ)地区では、毎年5月4、5日に「相模の大凧(だこ)まつり」[資料1][資料2]が開かれます。きらりさんたちは、「相模の大凧まつり」の写真を見ながら、話し合いました。
相模の大凧(だこ)まつり 関連資料リンク
きらりさんたちは、大凧まつりについて調べてみることにしました。
きらりさんたちは、予想をもとに学習計画を立てました。
【学習計画】
●調べること
・大凧はいつからどうして始まったか。
・多くの人が見に来るわけ。
・相模(さがみ)の大凧ができるまで。
・大凧のよさ。
●調べ方
・相模の大凧センターや公民館に行き、大凧の歴史(れきし)を調べたり、お話を聞いたりする。
・大凧保存会(ほぞんかい)の方にお話を聞く。
「相模の大凧まつり」って?
公民館や相模の大凧センターへ行き、調べましょう。
きらりさんたちは、新磯にある相模の大凧センターへ見学に行きました。
天井には大凧が展示(てんじ)されています。
きらりさんたちは、まだ、かい決できていない問題を、毎年凧づくりを教えてくれる保存会の方に質問したいと考え、新磯公民館をたずねました。館長さんに調べたい内容を相談すると、保存会の方と連らくを取ってくださいました。1週間後、相模の大凧センターでお話できることになりました。
大凧保存会の方のお話
日本一大きくて、重いので、「相模(さがみ)の大凧は、日本一」であることをまず自まんしています。また、相模の大凧の8間凧(けんだこ)(大きさは、一辺が14.5mの正方形。重さは約1トン)をあげるには、100人がかりで、その大凧をあげる凧連(たこれん)の人たちの気持ちが一つにならないと大凧はあげられないし、きけんでもあります。みんなの気持ちが一つになり、見事、空にあがったときの喜びは忘れられません。
大凧を安全にあげられるよう願います。
みんなで力を合わせます。
【戦争(せんそう)は終わった。みんなで上を向いてがんばろう。】
復興のシンボルとして再開に導いたのは地元の農家の西山一郎さんです。戦争が終わり帰ってきたのに、食りょうはじゅうぶんになく、朝から日ぼつまで田畑であせを流す日々。楽しいことは一つもありませんでした。仲間(ま)に声をかけ、農作業の合間に大凧を作りました。「戦争は終わった。みんなで上を向いてがんばろう。」そんな思いをこめてさい開しました。
1947年5月。戦後初めて大凧をあげた西山さん。字は「龍翔」
【大凧は、さまざまな地の空を舞う】
「相模の大凧まつり」は、相模原市の観(かん)光事業の一つとして、市民にも全国にもしょうかいしています。2004年(平成16年)、2010年(平成22年)には、全国凧あげ大会が相模原市で行われました。また、1990年(平成2年)には中国、1991年(平成3年)にはカナダ、1997年(平成9年)にはアメリカの空を相模の大凧は舞いました。
【大凧づくりに思いをこめて】
相模の大凧は、
江戸時代(1830年頃)に子どものたん生を祝(いわ)って凧をあげたというのが始まりです。令和時代にあっても、子どもを思う親の心は同じであると強く思います。この凧あげにこめられた「思い」を伝えていきたいと思っています。
また、相模の大凧は、新磯地区の先人たちが創(つく)り守ってきた文化として次の世代に伝えていきたい、伝統文化として守っていきたいと思っています。地域の小学校での凧作りや凧あげの指導を1990年頃から行っています。しょう来、この地で大凧の会員として大凧あげにたずさわってもらいたいなあと願っています。
大凧まつり前日に開かれる式典(しきてん)では、4月2日からよく年の4月1日生まれの初節句(はつぜっく)をむかえた新磯地区の子どもに凧がプレゼントされます。
しりょう
大凧づくり(新戸8間大凧)
*大凧は毎年せい作している。
相模の大凧(だこ)まつり 関連資料リンク
昔からのこされている古いもの
昔から地域にのこされている古いものを調べましょう。
わたしたちの住む神奈川県には、むかしから、いつも決まった日や季節になると行われる祭りや行事がたくさんあることが分かりました。わたしたちの家や地域で、行われている祭りや行事を調べて1年間の行事ごよみを作ってみましょう。
人々は、道ばたなどにさまざまな願いをこめて、道祖神(どうそじん)や二十三夜塔(にじゅうさんやとう)、庚申塔(こうしんとう)、地蔵(じぞう)などを建(た)てました。市内に多く見られる道祖神は「塞(さい)の神(かみ)」ともよばれ、旅人や村人をふこうな出来事や悪病(あくびょう)から守る神とされ、村のさかいや橋のそばなどにまつられました。
しりょう
「神奈川県の文化財(ぶんかざい)」
田名で発見された住居(じゅうきょ)あとは、日本ではまだあまり発見されていない、旧石器時代(きゅうせっきじだい)という非常に古いころのものです。12
本の柱の穴(あな)やたき火のあとと考えられる部分や石で作られたやりなどがたくさん見つかりました。
上の写真は史跡(しせき)田名向原遺跡旧石器時代学習館(旧石器ハテナ館)です。下の写真は再現された住居あとです。
③国指定川尻(かわしり)石器時代遺跡(谷ヶ原(たにがはら))
30軒以上の敷石(しきいし)住居跡が発掘され、たくさんの石器や土器・土偶(どぐう)などが見つかりました。
A 国指定箱根関跡(はこねのせきあと)(箱根町)
約400年前、江戸(現在の東京)を守るために、人や武器の出入りを調べた建物です。現在は、復元されています。
B 国指定小田原城跡(おだわらじょうあと)(小田原市)
約150~400年前、小田原北条氏が活動の中心としたお城です。銅門(あかがねもん)と馬出門(うまだしもん)が復元されています。
C 国指定旧横浜正金銀行本店(きゅうよこはましょうきんぎんこうほんてん) 本館(ほんかん)(横浜市)
1904年に建てられました。現在は、神奈川県立歴史博物館として、資料や昔のものを再現した模型が展示されています。
D 国指定銅像阿弥陀如来坐像(どうぞうあみだにょらいざぞう) (鎌倉市)
「鎌倉の大仏」として知られています。高さ約11m、重さ約120tで、東大寺の大仏にはおよびませんが作られた当時(1252年ごろ)の姿をよく残しています。
友だちと考えたことを交流しよう
チャレンジ! 調べたことをまとめて、「神奈川すごろく」にしてみよう。
①スタートとゴールのわくを書く。
②スタートとゴールをつなげる道を書く。
③とちゅうに紹介したい写真やイラストのカードをはる。
④ますの数を考えて道を区切る。
⑤とちゅうに1回休みや何ますもどるか書く。
4年-5 くらしを高めるねがい
地域の様子について調べよう
どのようにして土地が開かれていったのかを調べましょう。
約400年前(江戸時代)の相模原(さがみはら)地域は、草や木が生えている広大な原野でした。ここでは、水を得ることが難しいため、この場所に住む人たちは、ほとんどいませんでした。
今から160年くらい前、相模川の近くにある田名村には、わき水を利用した水田がわずかにあるだけでした。また畑も、農家の人にとって、とても大切なものでした。田んぼで米を作るためには、たくさんの水が必要なので、相模川から水を引くための「用水路」をつくらなければなりませんでした。
しかし、当時の相模川は、たびたび大はんらんを起こす大きな川で、用水路やていぼうをつくることは、とても難しいことでした。しかし、当時の人たちは、少しでも生活を豊かにするために、荒れていた土地をなんとか作物のとれる土地にしようと、用水路を力を合わせてつくることに決めました。このように、相模原地域では、「新田開発」がすすめられました。
1 田んぼに用水を引く
「烏山用水」について調べよう
だれが、何のために、烏山用水を作ったのかを調べましょう。
田名にあるふれあい科学館の近くに「烏山用水開拓(からすやまようすいかいたく)の祖(そ)江成久兵衛翁像(えなりきゅうべえおきなぞう)」という銅像があります。また、田名八幡宮には、記念碑(きねんひ)があります。
江成久兵衛さんという人は、どのような人なのでしょうか。
江成久兵衛銅像
江成久兵衛
郷土懇話会田名支部の支部長さんの話
昔このあたりは、烏山藩(はん)がおさめていました。烏山藩は年貢(ねんぐ)を増やそうとして、荒れ地を水田にする計画を立てました。しかし、お米を作るためには、たくさんの水が必要なので、用水路を作らなければなりません。相模川は近くに流れていますが、そこから水を引くことはとても大変なことだったので、この計画を行うことは、はじめからむずかしそうでした。烏山藩は、村の人たちに命令して、用水路とていぼうを作る計画をし、完成させました。しかし、完成した次の年に、相模川で洪水(こうずい)が起こり、ていぼうはこわれて、用水路はどろでうまってしまいました。大変な工事を行って完成させたのに、たった一度の洪水でこわれてしまったのです。
しかし、江成久兵衛は、あきらめずにもう一度工事をやり直したいと願い出ました。藩の許しをもらった久兵衛は、さっそく工事を始めました。嵐が来るたびに何度も失敗しましたが、あきらめずに工事を続けました。その結果、やっと洪水でもこわれないていぼうを完成させました。こうして、用水路に水を流せるようになると、田んぼでお米を作ることができるようになったそうです。
年貢 今の税(ぜい)金のことで、農家の人たちは、お米やお金で役所におさめていた。
ていぼう作りのための工事の様子(想像図)
工事の様子について調べよう
烏山用水を作るための工事は、どのようにして行われたのでしょう。
このころ田名村をおさめていた烏山藩は、年ぐをふやすために、相模(さがみ)川の水を引いて田を開き、米作りをはじめる計画を立てました。ところが、田名村に水を引くには、がけをくりぬき、トンネルをほらなければなりませんでした。また、洪水をよく起こすので、ていぼうを作る必要がありました。工事は「トンネルをほること」「用水路を作ること」「ていぼうを作ること」が中心でした。
工事の計画は、役所が立てましたが、実際の工事は、この地域に住む農家の人たちが行いました。工事には、「くわ」や「み」、「もっこ」などの道具が使われ、土をほるのも、ほりだした土を運ぶのも、すべて人の力で行われました。また、用水路づくりには多くの費用がかかりました。そのほとんどを村の人たちが負担しました。
そのころの工事に使われたと思われる昔の道具
こうして、たくさんの人の力とお金をかけて、用水路は翌年に完成しました。
しかし、次の年に起こった洪水で、用水路がうまってしまい、田を開く計画は失敗してしまいました。
作り直す工事の様子から考えよう
烏山用水を作り直すために、どのような苦労や工夫があったのかを考えましょう。
用水路(ようすいろ)を作りなおす工事の様子(想像図)
烏山藩は用水路を作り直す工事をあきらめてしまいましたが、久兵衛はあれはてた水田を見て、もう一度用水路を作り直そうと決心しました。烏山藩に工事の願いを出して、村の人たちにも協力をよびかけましたが、洪水にこりて協力してくれる人はいませんでした。久兵衛は一人で工事を始めましたが、とちゅうから、むこの重兵衛と力を合わせて工事を進めました。
久兵衛は、まず、前に烏山藩が行った工事と同じ失敗を繰り返さないように、しんちょうにていぼうのせっけいをしました。
村の人たちとともにていぼう作りをする久兵衛(想像図)
ていぼうの大きさや向きを工夫したり、用水路やトンネルを前よりも深く掘り下げたりする工事を行いました。
さらに、このときから28年もの長い年月をかけて、他の場所にもじょうぶなていぼうをいくつも作りました。
この間、久兵衛は、自分のざいさんのすべてを、これらの工事のために使ってしまいました。
久兵衛ていぼうあと
生活の様子について調べよう
烏山用水が完成し、地域の様子や生活がどのようにして変わったのかを調べましょう。
完成した用水路(想像図)
やっとの思いでようやく用水路が完成すると、村の人たちはとてもよろこびました。田を開き、米作りができるようになったからです。水の取り入れができるようになると、新しい田や畑が次々と開かれました。
そこで久兵衛は、新しく開いた農地が、村の人たちのものになるように、役所に願い出ました。願い出はゆるされ、新しく開いた農地が、村の人たちのものになりました。
こうして、久兵衛の一生をかけた努力によって、田名村の田や畑などの農地は、用水路ができる前よりも広がっていきました。
その後、田名村には船着き場ができ、船やいかだが相模川を行き来しました。
大山まいりの人たちが、ここから船で川をわたったので、宿屋や店もでき、水郷のまちとしてにぎわいました。
しかし、陸の交通が便利になるにつれて、川は利用されなくなっていきました。烏山用水は、その後の工事で深く、長くなり、新堀用水と呼ばれるようになりました。
前よりも家が建つようになり、水田がへっていくと、新堀用水は利用されなくなり、しだいに、よごれた水が流されるようになってしまいました。
大山まいり 大山にある神社に、おまいりに行くこと。県外からも多くの人が来ました。
現在の様子について調べよう
現在の用水路の様子を調べ、地域の人たちの思いについて考えましょう。
1988年から、下水道が整えられました。また、地域の人たちが、新堀用水を守ってきたことで、今のように、錦鯉が泳げるようなきれいな用水として守られています。
地域の人の話
用水路を守るために、よごれた水を流さないようにしたり、ゴミを捨てたりしないようにしています。その他にも、地域の人たちで協力して定期的にゴミ拾いをしたり、遊歩道の修理をしたりしています。また、用水路の周りもきれいにするために、しょうぶを植えたり、雑草取りをしたりしています。いつまでもきれいな新堀用水であってほしいと願っています。
◎体験してみよう!
実際に用水路作りに挑戦した様子です。用水路作りを通して、作業の大変さを感じたり、昔の人がどのような気持ちで作業していたのかを考えたりすることができました。
◎学習をまとめよう!
・新聞
・年表
しらべコーナー
清兵衛新田(せいべえしんでん)について調べよう
相模原(さがみはら)市役所から、南橋本(みなみはしもと)にかけて「清新(せいしん)」という地域があります。ここは今から160年くらい前に、原清兵衛(はらせいべえ)という人が中心となり、新しく農地(のうち) を開いた所なので、「清兵衛新田」と名づけられました。のちに「清新」と短く呼ぶようになったのです。そのころの開こんの様子を伝える記念碑(ひ)が、清新小学校の近くの氷川(ひかわ)神社にあります。
当時、農家にとって畑は、とても大切なものでした。しかし、田や畑は川のそばにわずかにあるだけでした。
清兵衛は、この地方をおさめていた代官(だいかん)の江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん)に開こんのゆるしを願(ねが)い出て、近くの村々の農家の人たちに畑作りの計画(けいかく)を話し、協力(きょうりょく)を呼びかけました。荒(あ)れはてた土地を何とか作物のとれる土地にしたかったのです。しげっていた草をかり、土地をたがやし、草原を農地にする仕事が長い間続けられました。
清兵衛はまず、道を作り、井戸(いど)をほり、農具(のうぐ)を近くの村の農家の次男(じなん)や三男(さんなん)にくばり、家に住(す)まわせました。人々はできあがった畑が自分のものになることに勇気(ゆうき)づけられ、仕事にはげみました。
こうして1843年からの13年間に、およそ150ヘクタール(1ヘクタール=たて・横100メートルの正方形と同じ広さ)の畑を作り上げ、人々はおよそ3ヘクタールぐらいたがやすことができるようになりました。
開(かい)こんした畑では、むぎやあわ、ひえ、いも(さつまいも、さといもなど)などがとれるようになりましたが、しゅうかくは少なく、米はほとんど口にすることがありませんでした。また、かいこを飼(か)うためにくわを植(う)えました。しかし、苦心(くしん)して開いた畑も、火山灰(ばい)がふりつもったやせた土地だったことや、肥料(ひりょう)代や生活費(ひ)、年貢(ねんぐ)などのための借金(しゃっきん)に苦しみ、人々のくらしは思うようには楽になりませんでした。
中でも人々が生活の中で一番苦しんだのは水でした。井戸(いど)は30メートルもほらなければなりませんでした。また、井戸があっても数が少なく、水もたくさん出ませんでした。庭(にわ)に四角いあなをほって雨水をためたり、大八車(だいはちぐるま)にたるをのせて、近くの川までくみに行きました。それほど大切な水だったので、仕事から帰っても、水で手や足を洗(あら)えず、「はたき洗足(せんぞく)」といって、手足のよごれをはたき落(お)としてすませました。また、子どもが生まれたときにも、米のとぎじるを使って、産湯(うぶゆ)を使わせたほど水を大切にしたということです。
しらべコーナー
かんがい用水路について調べよう
かんがい用水路のあと
できたころの畑地かんがい用水
かんがい用水路
相模原(さがみはら)台地の上だんには野原が広がり、共同で草や木をとる場所として利用されていました。江戸(えど)時代になると、人々はその野原をしだいに畑や炭をつくるための雑木林(ぞうきばやし)に変えていき、明治(めいじ)時代になっても開発(かいはつ)は続きました。しかし、土地はかんそうしていて作物はあまりとれませんでした。
それで、人々は、相模川の水を引いて、作物(さくもつ)の量をふやしたいと考えました。開田(かいでん)計画は明治のころからありましたが、第二次世界大戦後(だいにじせかいたいせんご)の食料増産(しょくりょうぞうさん)計画にともなって、畑地かんがい用水もそのために作られました。
相模原台地のわき水とちゅう水
長い年月と、多くのひ用を使って作られた用水路でしたが、市のようすがかわるにつれて利用されなくなり、現在は、遊歩道(ゆうほどう)として整備(せいび)されています。
相模湖・相模ダム
遊歩道
昭和22年(1947年)に相模湖ができ、そこからかんがい用の水を引きました。そのおかげで、米(約2倍)や、やさいもとれ高がふえました。
しらべコーナー
原宿(はらじゅく)用水について調べよう
今からおよそ380年前、緑区(みどりく)の原宿(はらじゅく)地区に市を開くことになりました。そのためにどうしても欠(か)かすことのできない水を山本利兵衛(やまもとりへい)という人が中心となって、村の北にある境(さかい)川から水を引くことになりました。これが、原宿用水のはじまりです。
原宿用水は、現在の広田地区から水を取り入れ、町屋(まちや)を通り川尻(かわしり)八幡参道を横ぎって、原宿自治会館のあたりから原宿のまん中を流れていました。
原宿用水の地図
原宿用水が通る橋
原宿用水取入口のあと
現在の久保沢地区
現在の原宿地区
原宿用水のあと
用水は、原宿会館のあたりから、原宿のまちの中を4本に分かれて流れていました。
江戸時代(えどじだい)、川尻村の久保沢(くぼさわ)地区には市(いち)が開かれるようになりました。この市は、代官守屋行広(だいかんもりやゆきひろ)が名主だった下川尻村の利兵衛(りへえ)と上川尻村の太兵衛(たへえ)に開かせたものでした。そのころの市はとてもにぎわっていて、津久井(つくい)の山で生産(せいさん)された木炭(もくたん)やおりもの、また、平地で作られた酒(さけ)などが、さかんに売り買いされていました。
ところが、太兵衛が、市の利益(りえき)をひとりじめしていると利兵衛が代官にうったえるという事件(じけん)がおきたのです。そこで、代官は久保沢の東の野原(原宿)にもう1つ市を作ったらどうかと言いました。利兵衛はしかたなく、村の北に流れる境川(さかいがわ)から水を引き、野原に新しいまちを開いたのでした。それが今の原宿地区です。
このようにして2つの市が開かれるようになり、久保沢は3、13、23日に、原宿は7、17、27日に市が開かれるようになったのです。
その後、それぞれの場所でさかんに市が開かれたそうです。
昭和(しょうわ)40年代にはいり、原宿用水のほとんどは使われなくなり、うめたてられましたが、家の路地裏(ろじうら)などにわずかに面影(おもかげ)をのこしています。
4年-6 わたしたちの県のまちづくり
県内の特(とく)色ある地域の様子
空から神奈川県をながめてみると、「山がちな地域」「海に囲まれた地域」「ビルが立ち並ぶ地域」が見えてきました。それぞれにどんな特色があるのかを調べに行きましょう。
地図帳からはどんな様子が読み取れるでしょうか。
1 伝統の箱根寄木細工(はこねよせぎざいく)
箱根寄木細工にふれて
箱根町や寄木細工について、気づいたことを話し合いましょう。
ふみかさんが、おばあさんからおみやげにもらったきれいなもようで作られた箱をもってきました。つつみ紙には、箱根寄木細工「ひみつ箱」と書かれていました。
先生のつくえの上に、同じようなもようで作られたふで箱やえんぴつ立てがありました。「箱根寄木細工」というのだそうです。
先生が、いろいろな寄木細工の写真を見せてくれました。わたしたちは、箱根町や箱根寄木細工について調べてみたくなりました。
寄木細工の里「畑宿」に行こう
箱根寄木細工は、どのように作られているか調べましょう。
わたしたちは、箱根町の畑宿(はたじゅく)に行ってみることにしました。そこで、寄木細工を作る石川さんにお話をうかがいました。
寄木の材料となる主な木
箱根寄木細工のできるまで
石川さんの話
寄木細工を作るときにむずかしいのは、組み合わせるもようのバランスときめこまかさです。そして、それをかんなでうすくけずるときは、集中力と根気が必要です。
寄木細工は、体で覚えていくぎじゅつですから、何年もかけてすぐれたぎじゅつを身につけます。いろいろなもようを作るのは、寄木細工の一番の楽しみです。
箱根寄木細工のはじまり
寄木細工が箱根で作られるようになったわけを調べましょう。
寄木細工は、箱根や小田原で作られています。畑宿が、なぜ「寄木細工の里」とよばれているのか調べてみました。
畑宿一里塚(はたじゅくいちりづか)(旅人の目印(めじるし)です。一里は、約4kmあります。)
箱根寄木細工は、今から約200年前(江戸(えど)時代の終わりごろ)箱根町畑宿で石川仁兵衛(いしかわにへえ)によって始められたと伝えられています。
その後、ふくざつなもようが考え出され、種類(しゅるい)も多くなりました。
江戸時代の箱根は、東海道(とうかいどう)の宿場町(しゅくばまち)でした。また、温泉が有名だったので、多くの人がやってきました。寄木細工の美しさやおもしろさにひかれて、おみやげ品としてよろこばれました。やがて、全国的に有名になりました。
箱根寄木細工の技を伝える
寄木細工を作る人たちのなやみや願いを調べましょう。
寄木細工の体験教室に参加するために畑宿寄木会館をたずねることにしました。
畑宿で寄木細工を作っている金指(かなざし)さんに教わりながら、作品を作ったり、お話を聞いたりしました。
会館の人の話
寄木会館は、箱根寄木細工を知ってもらうためのしせつです。この仕事にきょうみをもってもらおうと、体験教室もひらかれています。ぜひ、寄木細工の楽しさを体験してください。
体験教室でつくったみんなの作品
自然の木の色が美しく、木のかおりがしました。できあがった作品を見ると同じもようがひとつもなく、寄木細工の美しさとおもしろさを体験することができました。
寄木細工の仕事をする人たちは、この仕事を受けついでくれる人が、少ないことを心配しています。
また、すぐれたぎじゅつを伝え、すばらしい作品を作りたいと願っていることが、わかりました。
金指(かなさし)さんの話
寄木細工の初めのころは、かんたんでそぼくな模様でした。
しかし、しだいにしょく人たちの工夫と努力で、細かくふくざつなもように変わってきました。伝統の技を大切にしながら、それを、土台にして新しいものをきずきあげることも大切です。今のくらしにあった作品も考えて作るようにしています。そういう思いで、今日も木くずにまみれながら、寄木細工の仕事にはげんでいます。
木象嵌(もくぞうがん)細工の作品
箱根駅伝の往路優勝(おうろゆうしょう)を祝うトロフィーは、寄木細工無垢(よせぎざいくむく)(組み合せた木をくりぬく)の作品です。毎年、箱根町の依頼(いらい)を受けて作られています。
箱根の木で作ることができたら
寄木細工の材料はどこから取り寄せているのでしょう。
わたしたちは、石川さんから、箱根の木だけで寄木細工が作られていないことを聞きました。そこで材料は、どこから取り寄せているのか調べることにしました。
細かくふくざつなもようが作り出されるようになると、いろいろな色の木が必要になってきました。そこで、今では、多くの木を他の県や外国から買うようになりました。また、森から木を切り出したり、世話をしたりする人が少なくなったので箱根の木だけでは、作ることができなくなりました。
箱根寄木細工をつくる石川さん
箱根町が材料となる木を取りよせている国
箱根町のまちづくり
箱根町は、どのようなまちづくりをめざしているのでしょう。
わたしたちは、箱根町には、多くの観光客がおとずれることを聞きました。寄木細工の仕事も観光にかかわる仕事なので、箱根町の様子を調べることにしました。
箱根湿生花園(しっせいかえん)
箱根町には年間2000万人近くの観光客がおとずれるそうです。
温泉に入った人は、年間約500万人です。観光シーズンになると外国からも多くの観光客がおとずれ、大変にぎわうそうです。
多くの観光客がおとずれるようになったために、観光道路やゴルフ場、ホテルなどが次々につくられました。
そこで、国や県とも協力して、自然はかいにつながるおそれのある開発ができないようにしました。町では、計画的に土地を買い取って、ゆたかな自然を守るように努力しています。
箱根旧街道杉並木(きゅうかいどうすぎなみき)
2 海辺の三浦市
三浦市について調べよう
三浦市の土地の様子について調べ、学習計画を立てましょう。
わたしたちは、海に面した三浦市について調べることにしました。まず、三浦市の写真や地図を見て、気がついたことや調べてみたいことを話し合ってみました。
崖(がけ)の様子
港の様子
三浦市の漁業
三崎(みさき)港では、どのような魚や貝があつかわれているのでしょう。
三浦市にある三崎港は、まぐろの水あげで有名な港です。
わたしたちは、三崎港にはどのような魚や貝がどこから集まってくるのか調べました。
三崎港の位置
三崎の魚市場
三崎魚市場であつかわれる魚(平成30年三崎水産物地方卸売市場)
近くの海でとれるもの
まぐろの漁場(ぎょじょう)
まぐろ漁船(実習船)
三崎港にある魚市場では、三浦市の近くの海でとれる魚や貝の他に、世界の海でとれたまぐろが水あげされていました。また、波や風をふせぐ入り組んだ海岸をもつ三浦市にはよい港がたくさんあります。地形をいかして県内で最もさかんにさまざまな漁業が行われています。
漁業をさかんに
魚をとる仕事をする人たちの仕事のしかたやなやみ、漁業をさかんにする工夫を調べましょう。
近くの海で魚をとる漁船
魚をとる人の話
わたしたちの仕事は、朝早くからはじまります。寒い冬や、海があれている日などはつらい事もあります。遠い外国の海へ魚をとりに行く船は、何か月も帰れません。
しかし、三浦市では「まぐろで町おこしを」というテーマをかかげ、いろいろな行事を行っています。その動きの中で水あげ量をふやす努力をしています。
このごろ海がよごれてきたので、とても心配です。また、しゅう入がへってきていることと、後をつぐ人が少ないことがなやみです。
ひらめ、まだい、さざえ、あわび、わかめ、こんぶなどの養殖(ようしょく)をはじめ、海の資源(しげん)を守り、大切にするとりくみも行われています。
はまちのいけす
はまち
三崎漁港(みさきぎょこう)は、南の方角に城ヶ島(じょうがしま)があり、波がおだやかです。これを利用して、四国地方の高知県などで養殖(ようしょく)されたはまちなどを生きたまま水槽(すいそう)で運び、いけすで出荷(しゅっか)されるまで飼(か)います。東京方面から注文(ちゅうもん)があると、このいけすから出して、出荷されます。
三浦市の農業
三浦市の農業の様子を調べてみましょう。
相模原市の様子とくらべながら、どんな農作物が作られているか調べてみることにしました。
三浦市の主な作物の作付(さくつ)け面積 (2015農林業センサスより)
三浦市の農家の一年の仕事
だいこんの収穫(しゅうかく)
冬の三浦市の畑
冬の相模原市の畑
三浦市で作られているさまざまな農作物
三浦半島では江戸時代からだいこんが作られていました。大正14年に『三浦だいこん』と正式に名前がつけられてから、三浦特産の冬だいこんとして有名になりました。しかし、昭和54年の台風被害(ひがい)がきっかけとなって今ではほとんど青首だいこんが作られています。三浦だいこんは出荷量の全体の1%になっています。
農業の人の話
すいかは、トウガンにつぎ木をしてなえを育てます。実をつける時期が、つゆのころで、雨や風にあたると病気になりやすいため、ビニールのトンネルでさいばいします。実が大きくなると全体がふくらむように「玉がえし」(実の向きを変える)の作業をします。
農作物は天候(こう)のえいきょうを大きく受けるため、台風やひょうの被害(ひがい)と害(がい)虫のために病気になったりすることが大きな悩みです。
収穫(しゅうかく)の様子
トンネルさいばい
三浦市ではたらく人の話
三浦は海に囲まれているため、「冬暖かく、夏すずしい」という気候です。
その気候をいかした農業がさかんで、全国的にも有名です。三浦では、秋冬作が中心のため、ひかくてき害虫が少なく、害虫を防ぐ作業も少なくてすみます。最近では、さらに減(げん)農薬、減化学肥(ひ)料にこだわったさいばいにも取り組む農家の方も増えています。
三浦の作物は主に東京や神奈川、埼玉などに出荷されています。
3 世界とつながる横浜市
県庁(ちょう)のある横浜市
県庁(ちょう)のある「みなとみらい地区」の様子について調べましょう。
約5千人が入る国際会議(こくさいかいぎ)場がある。
神奈川県の国際協力の中心しせつ
コンテナの積みおろし作業
神奈川県の政治を行う
横浜市は神奈川県の県庁(ちょう)所在(ざい)地です。神奈川県庁のあるみなとみらい地区とは横浜市の東側、横浜港に面した地域のことです。埋め立て地に商業施設、美術館、ホテル、国際会議場などが建設されています。
羽田空港から近く、外国からの客船が入出港する国際客船ターミナルもあり、仕事や観光のためにたくさんの人がおとずれる地区です。横浜市では、長年にわたり計画的な国際・未来都市づくりをすすめています。
国際都市YOKOHAMA
横浜市と外国との関わりについて気づいたことを話し合いましょう。
横浜市では、毎年、世界トライアスロンシリーズの横浜大会が行われます。
ITU世界トライアスロンシリーズ横浜大会は、2009年に横浜開港150周年記念の取組として開さいされました。東アジアでは、横浜市が唯一(ゆいいつ)の開さい都市となっています。毎年外国から来た多くの選手が出場しています。
2002年には横浜国際総合競技場がサッカーワールドカップの決勝戦の開さい地に選ばれました。それ以降もたくさんの国際スポーツ大会が開さいされ、スポーツを通した国際交流が盛んに行われています。また、横浜市は羽田空港も近く、大ぜいの人が集まれるしせつがあるため、いろいろな国の人が集まる国際会議も多く開かれています。
横浜国際総合競技場
中・大型の国際会議の開さい件数(2017年)
外国人住民の数(2015年)
横浜市の国際交流
横浜市と外国のまちとの交流について調べましょう。
わたしたちは、横浜市では外国のまちとどのような交流をしているのかを知りたくて、調べてみました。
横浜市では外国のまちと姉妹・友好都市やパートナー都市の関係を結(むす)んでいます。海外のまちとの連(れん)けい・協力関係をいかして様々な分野での進歩・発てんを図っています。
また、横浜港では、いろいろな品物が外国におくられたり、外国の品物が入ってきたりしています。横浜港は日本を代表する歴史ある港(みなと)で、外国の6つの港と姉妹港・友好港や貿易(ぼうえき)協力港の関係を結んでいます。
姉妹・友好都市 国際親ぜんを目的として、文化・教育・経済(けいざい)などの分野で交流を深める約束(やくそく)をしたまちのこと。
横浜港
コンテナターミナル(南本牧ふとう)
自動車ターミナル(大黒ふとう)
横浜市では、たくさんの外国のまちと交流をしていることがわかりました。
そこで、これらの国とまちの位置やどのような交流をしているのかを調べてみました。
多文化共生をめざして
横浜市での外国の人がくらしやすいまちづくりについて調べましょう。
横浜市には、たくさんの外国人住民(みん)の方々がくらしています。市では、言葉や習かんのちがう人たちの生活をどのように支えているのでしょうか。わたしたちは横浜市国際交流協会(YOKE(ヨーク))の方にお話をうかがいました。
国際交流協会の人の話
わたしたちは、外国人住民の方のために役立つ情報を多言語で発信したり、多言語での生活相談を行ったりしています。大きな災害があった時には、情報をほんやくして外国の方に伝えたり、外国人住民の方からの相談・問い合わせへの対応などをしたりしています。言葉が分からず不安だと思うので、きん急時に外国語で情報を伝えることはとても大切だと思います。
外国人住民の方が増えているため、多文化共(きょう)生の地域づくりを進めています。
市内に10か所ある国際交流ラウンジでは、外国の方向けの日本語講座の中で、市民ボランティアの方に協力をしてもらったり、地域の日本人と外国人との交流活動を行ったりしています。最近では、交流を目的に「多文化お茶会」を開さいしました。「あなたの顔は道で見かけていたから知っていたけど、うちのマンションのとなりに住んでいたのですか。今度中国のことを教えてくださいね。」などとなごやかな会話があちこちで弾(はず)んでいました。
また、横浜市では外国出身の人々とさまざまな交流が行われていることが分かりました。わたしたちは、横浜市で国際交流が盛んな理由について話し合い、外国から来た人々と分かり合いながら、さらに交流を進めていくためにはどのようなことが大切なのか考えてみることにしました。
しりょう
みんな知ってる? 銀河連邦(ぎんがれんぽう)
日本の各地(かくち)に、宇宙(うちゅう)について研究(けんきゅう)している所(ところ)があります。その場所(ばしょ)をJAXA(ジャクサ)(宇宙航空研究開発機構(うちゅうこうくうけんきゅうかいはつきこう))といいます。
その研究施設(けんきゅうしせつ)がある5つの市と2つの町が集あつまって、「宇宙へのロマンをもとめて、なかよくしていこう」と考えてつくられたのが「銀河連邦(ぎんがれんぽう)」です。銀河連邦に集まった市や町のことを「共和国」と呼ぶようにしました。
だから、銀河連邦では、相模原市は「サガミハラ共和国」になります。
私(わたし)たちの住む相模原市には、相模原キャンパスがあります。
銀河連邦7つの共和国
銀河連邦がたん生したのは、1987年11月8日。
これまで、いろいろな交流(こうりゅう)や活動(かつどう)をしてきました。
そうした活動を通(とお)して、いろいろな所(ところ)に住すんでいる人たちと仲良(なかよ)くなったり、宇宙について勉強(べんきょう)したりしています。
各共和国にある研究所は…
銀河連邦の活動
☆「はやぶさの日(ひ)」を制定(せいてい)
(7年間(ねんかん)で60億(おく)キロの宇宙(うちゅう)の旅(たび)をした)小惑星探査機(しょうわくせいたんさき)「はやぶさ」が地球(ちきゅう)に帰(かえ)ってきた「6月(がつ)13日(にち)」を「はやぶさの日(ひ)」と制定(せいてい)しました。
☆子ども留学交流(りゅうがくこうりゅう)
毎年、各共和国で順番(じゅんばん)に開(ひら)かれる「子ども留学交流」は、代表(だいひょう)の子どもたちが集(あつ)まり、いろいろな体験(たいけん)をして交流します。
☆子ども留学交流
サッカーや、マラソン、スピードスケートなど、各共和国で開かれるスポーツ大会に参加し、交流をしています。
☆福祉(ふくし)交流
体が不自由な人とその家族(かぞく)が、サク共和国を訪(おとず)れ、リンゴ狩りをしたり、地域(ちいき)の人々や参加者同士(さんかしゃどうし)の交流(こうりゅう)をしています。
☆物産展
桜(さくら)まつりや農業(のうぎょう)まつり、各共和国で開かれる物産展などで各共和国の物産を紹介(しょうかい)したり販売(はんばい)したりします。
友好都市(ゆうこうとし)
わたしたちが、平和にくらすためには、外国の人たちとなかよくすることが大切です。相模原市は、中国の無錫市(むしゃくし)とカナダのトロント市と友好都市として様々な交流をしています。
【中国 無錫市(むしゃくし) 】
相模原市は、1985(昭和(しょうわ) 60)年に中国の無錫市と友好都市になりました。
無錫市は、中国の東部にあり、面積(めんせき)は約4,627平方キロメートルで神奈川県のほぼ2倍(ばい)あります。琵琶湖(びわこ)の3倍以上の大きさの太湖(たいこ)が有名で、歴史の古い町として知られています。人口は、約746万人(2020年)です。
工業がさかんで機械・電子(でんし)など、日本の多くの会社の工場があります。
毎年、相模原市と無錫市は、おたがいの市をよく知り親(した)しくなるために、様々な交流をしています。
【カナダ トロント市】
相模原市は、1991年(平成3年)にカナダのスカボロー市(現トロント市)と友好都市になりました。これまで2,000人をこえる人たちが相互(そうご)に交流してきました。スカボロー市は、1998年(平成10年)に近隣(きんりん)5市と合併(がっぺい)し、トロント市となりましたが、相模原市とトロント市は引き続き友好都市として交流を続けることになり、教育(きょういく)・文化(ぶんか)・スポーツ・経済(けいざい)など様々な分野での交流を進めています。
トロント市は、面積(めんせき)630平方キロメートル、人口約295万人(2018年)のカナダ最大の都市で、文化や金融(きんゆう)・商業(しょうぎょう)の中心地です。
五大湖のひとつオンタリオ湖に面した美しい町で、郊外(こうがい)にはナイアガラの滝など雄大(ゆうだい)な自然が広がっています。
トロント市庁舎
トロント市の町並
水泳による両市のスポーツ交流
これからの相模原市
市役所
相模原市は全国でも規模(きぼ)の大きい都市で、平成15年4月に、中核市(ちゅうかくし)になりました。さらに平成18年3月に、津久井町・相模湖町と、平成19年3月には城山町・藤野町と合併(がっぺい)し人口が70万人をこえ、神奈川県では横浜市に次いで2番めの広さをもつ市となりました。平成22年4月には、政令指定都市(せいれいしていとし)になりました。
みんなが安全で安心してくらせる相模原市にするために、住んでいる人や市内にある会社、学校などと市が、役割分担をしながら、みんなで協力してまちづくりをすすめています。
市では、みんなが勉強する学校を作ったり、子どもを預(あず)けて安心して働けるように保育所や児童クラブを運営(うんえい)したりするなど、みんなのくらしを支える仕事をしています。
また、産業を育てたり、公園や道路、下水道などを作る仕事も市の仕事です。
これからも、相模原市の豊かな自然を守り育てながら、安全で安心してくらせるまちをみんなの手で作っていくことがとても大切です。
相模原市では、市民のいろいろな意見を取り入れ、『総合計画(そうごうけいかく)』を作りました。市では、この計画で定めた将来像(しょうらいぞう)と目指すまちの姿の実現をめざして、市民と対話をし、さらに市の議会と相談をしながら仕事を進めていました。
わたしたちが大人になったころの相模原市は、どのようになっているのでしょう。
よりよい相模原をつくっていくためには、市民一人ひとりが自分たちのくらしている地域に関心をもつことが大切です。わたしたちの相模原市を、どのようにしていけばよいか、これまでに、学習したことをもとに話し合ってみましょう。
市では、市民一人ひとりが夢や生きがいをもって、安心して生活できる地域社会をめざして計画を進めています。 地域の特性をいかして、様々な交流・活動の場となる中心市街地(しがいち)の活性化(かっせいか)や、観光や芸術などを通じてやすらぎと憩(いこ)いの場を提供していくことをめざしています。
よりよい相模原市をつくっていくためには、市民一人ひとりが自分たちのくらしている地域に関心をもつことが大切です。わたしたちの相模原市を、どのようにしていけばよいか、これまでに、学習したことをもとに話し合ってみましょう。
市内にある小学校・中学校・義務教育学校・高等学校・大学
公立小学校 令和5年4月1日現在
| 学校のなまえ | できた年 |
|---|---|
| 新磯(あらいそ)小学校 | 明治(めいじ)25年 |
| 麻溝(あさみぞ)小学校 | 明治25年 |
| 田名(たな)小学校 | 明治7年 |
| 上溝(かみみぞ)小学校 | 明治6年 |
| 星(ほし)が丘(おか)小学校 | 昭和(しょうわ)24年 |
| 大沢(おおさわ)小学校 | 明治35年 |
| 旭(あさひ)小学校 | 明治35年 |
| 向陽(こうよう)小学校 | 昭和23年 |
| 相原(あいはら)小学校 | 昭和25年 |
| 大野(おおの)小学校 | 大正(たいしょう)2年 |
| 淵野辺(ふちのべ)小学校 | 昭和17年 |
| 南大野(みなみおおの)小学校 | 昭和18年 |
| 谷口台(やぐちだい)小学校 | 昭和25年 |
| 中央(ちゅうおう)小学校 | 昭和28年 |
| 清新(せいしん)小学校 | 昭和30年 |
| 相模台(さがみだい)小学校 | 昭和34年 |
| 東林(とうりん)小学校 | 昭和41年 |
| 相武台(そうぶだい)小学校 | 昭和43年 |
| 光(ひかり)が丘 (おか)小学校 | 昭和44年 |
| 大沼(おおぬま)小学校 | 昭和44年 |
| 共和(きょうわ)小学校 | 昭和44年 |
| 桜台(さくらだい)小学校 | 昭和45年 |
| 上鶴間(かみつるま)小学校 | 昭和46年 |
| 横山(よこやま)小学校 | 昭和47年 |
| 鶴(つる)の台 (だい)小学校 | 昭和47年 |
| 鹿島台(かしまだい)小学校 | 昭和48年 |
| 緑台(みどりだい)小学校 | 昭和48年 |
| 橋本(はしもと)小学校 | 昭和49年 |
| 大野台(おおのだい)小学校 | 昭和49年 |
| 並木(なみき)小学校 | 昭和49年 |
| 作(さく)の口(くち)小学校 | 昭和50年 |
| 大野北(おおのきた)小学校 | 昭和50年 |
| 鶴園(つるぞの)小学校 | 昭和50年 |
| くぬぎ台(だい)小学校 | 昭和51年 |
| 双葉(ふたば)小学校 | 昭和51年 |
| 陽光台(ようこうだい)小学校 | 昭和51年 |
| 若草(わかくさ)小学校 | 昭和51年 |
| 上溝南(かみみぞみなみ)小学校 | 昭和52年 |
| 大島(おおしま)小学校 | 昭和52年 |
| 二本松(にほんまつ)小学校 | 昭和52年 |
| 田名北(たなきた)小学校 | 昭和53年 |
| 弥栄(やえい)小学校 | 昭和53年 |
| 青葉(あおば)小学校 | 昭和53年 |
| 大野台中央(おおのだいちゅうおう)小学校 | 昭和53年 |
| 宮上(みやかみ)小学校 | 昭和54年 |
| 九沢(くざわ)小学校 | 昭和55年 |
| 谷口(やぐち)小学校 | 昭和56年 |
| 淵野辺東(ふちのべひがし)小学校 | 昭和57年 |
| 若松(わかまつ)小学校 | 昭和58年 |
| 新宿(しんじゅく)小学校 | 昭和59年 |
| 当麻田(たいまだ)小学校 | 昭和62年 |
| もえぎ台(だい)小学校 | 平成13年 |
| 夢(ゆめ)の丘(おか)小学校 | 平成14年 |
| 富士見(ふじみ)小学校 | 平成14年 |
| 小山(おやま)小学校 | 平成15年 |
| 川尻(かわしり)小学校 | 明治6年 |
| 湘南(しょうなん)小学校 | 明治39年 |
| 広陵(こうりょう)小学校 | 昭和53年 |
| 広田(ひろた)小学校 | 昭和57年 |
| 中野(なかの)小学校 | 明治6年 |
| 根小屋(ねごや)小学校 | 明治6年 |
| 串川(くしかわ)小学校 | 明治29年 |
| 津久井中央(つくいちゅうおう)小学校 | 昭和35年 |
| 桂北(けいほく)小学校 | 明治6年 |
| 千木良(ちぎら)小学校 | 明治6年 |
| 内郷(うちごう)小学校 | 明治13年 |
| 藤野北(ふじのきた)小学校 | 平成18年 |
| 藤野(ふじの)小学校 | 平成17年 |
| 藤野南(ふじのみなみ)小学校 | 平成15年 |
公立義務教育学校
| 学校のなまえ | できた年 |
|---|---|
| 青和学園(せいわがくえん) | 令和2年 |
| 鳥屋学園(とやがくえん) | 令和5年 |
公立中学校
| 学校のなまえ | できた年 |
|---|---|
| 相陽(そうよう)中学校 | 昭和26年 |
| 上溝(かみみぞ)中学校 | 昭和22年 |
| 田名(たな)中学校 | 昭和22年 |
| 大沢(おおさわ)中学校 | 昭和22年 |
| 旭(あさひ)中学校 | 昭和22年 |
| 大野北(おおのきた)中学校 | 昭和22年 |
| 大野南(おおのみなみ)中学校 | 昭和22年 |
| 相模台(さがみだい)中学校 | 昭和42年 |
| 清新(せいしん)中学校 | 昭和46年 |
| 上鶴間(かみつるま)中学校 | 昭和46年 |
| 麻溝台(あさみぞだい)中学校 | 昭和48年 |
| 共和(きょうわ)中学校 | 昭和49年 |
| 緑(みどり)が丘(おか)中学校 | 昭和50年 |
| 大野台(おおのだい)中学校 | 昭和50年 |
| 相武台(そうぶだい)中学校 | 昭和51年 |
| 谷口(やぐち)中学校 | 昭和52年 |
| 中央(ちゅうおう)中学校 | 昭和53年 |
| 新町(しんまち)中学校 | 昭和54年 |
| 弥栄(やえい)中学校 | 昭和55年 |
| 相原(あいはら)中学校 | 昭和55年 |
| 上溝南(かみみぞみなみ)中学校 | 昭和56年 |
| 小山(おやま)中学校 | 昭和58年 |
| 若草(わかくさ)中学校 | 昭和58年 |
| 由野台(よしのだい)中学校 | 昭和58年 |
| 内出(うちで)中学校 | 昭和59年 |
| 鵜野森(うのもり)中学校 | 昭和59年 |
| 東林(とうりん)中学校 | 昭和60年 |
| 相模丘(さがみがおか)中学校 | 昭和22年 |
| 中沢(なかざわ)中学校 | 昭和61年 |
| 中野(なかの)中学校 | 昭和22年 |
| 串川(くしかわ)中学校 | 昭和22年 |
| 北相(ほくそう)中学校 | 昭和22年 |
| 内郷(うちごう)中学校 | 昭和22年 |
| 藤野(ふじの)中学校 | 昭和22年 |
| 県立相模原中等教育(けんりつさがみはらちゅうとうきょういく)学校 | 平成21年 |
| 大野南中学校分校(おおのみなみちゅうがっこうぶんこう) 夜間学級(やかんがっきゅう) | 令和4年 |
特別支援学校・高等学校・大学及び私立小中学校
| 学校のなまえ | できた年 |
|---|---|
| 県立上溝高等学校(けんりつかみみぞこうとうがっこう) | 明治44年 |
| 県立相原(けんりつあいはら)高等学校 | 大正11年 |
| 県立津久井(けんりつつくい)高等学校 | 昭和23年 |
| 県立相模原(けんりつさがみはら)高等学校 | 昭和38年 |
| 県立麻溝台(けんりつあさみぞだい)高等学校 | 昭和49年 |
| 県立相模原養護(けんりつさがみはらようご)学校 | 昭和50年 |
| 県立相模原城山(けんりつさがみはらしろやま)高等学校 | 令和5年 |
| 県立上溝南(けんりつかみみぞみなみ)高等学校 | 昭和51年 |
| 県立上鶴間(けんりつかみつるま)高等学校 | 昭和52年 |
| 県立橋本(けんりつはしもと)高等学校 | 昭和53年 |
| 県立相模原弥栄(けんりつさがみはらやえい)高等学校 | 令和2年 |
| 県立相模田名(けんりつさがみたな)高等学校 | 昭和62年 |
| 県立津久井養護(けんりつつくいようご)学校 | 平成15年 |
| 県立神奈川総合産業(けんりつかながわそうごうさんぎょう)高等学校 | 平成17年 |
| 県立相模原中等教育(けんりつさがみはらちゅうとうきょういく)学校 | 平成21年 |
| 県立相模原中央支援(けんりつさがみはらちゅうおうしえん)学校 | 平成23年 |
| 光明学園相模原(こうみょうがくえんさがみはら)高等学校 | 大正8年 |
| 麻布大学附属渕野辺(あざぶだいがくふぞくふちのべ)高等学校 | 昭和36年 |
| 相模女子大学高等部(さがみじょしだいがくこうとうぶ) | 昭和23年 |
| 相模女子大学中等部(さがみじょしだいがくちゅうとうぶ) | 昭和25年 |
| 相模女子大学小学部(さがみじょしだいがくしょうがくぶ) | 昭和36年 |
| 東海大学付属相模(とうかいだいがくふぞくさがみ)高等学校 | 昭和38年 |
| 帝京大学(ていきょうだいがく) | 昭和52年 |
| 東海大学付属相模中学校(とうかいだいがくふぞくさがみちゅうがっこう) | 昭和55年 |
| 麻布大学(あざぶだいがく) | 明治23年 |
| 相模女子(さがみじょし)大学 | 明治33年 |
| 北里(きたさと)大学 | 昭和37年 |
| 和泉短期(いずみたんき)大学 | 昭和51年 |
| 女子美術(じょしびじゅつ)大学 | 平成2年 |
| 青山学院(あおやまがくいん)大学 | 平成15年 |
| 桜美林(おうびりん)大学(プラネット) | 平成15年 |
| 学校法人シュタイナー学園初等部(しょとうぶ) | 平成16年 |
| 学校法人シュタイナー学園中等部(ちゅうとうぶ) | 平成16年 |
| LCA国際(こくさい)小学校 | 平成20年 |
| 学校法人シュタイナー学園高等部(こうとうぶ) | 平成24年 |
この本の編集にあたった先生
〈小学校社会科副読本編集委員〉
武田 直行(串川小学校)
土井 里佳(九沢小学校)
織江 亮太(淵野辺東小学校)
吉田耕一郎(上溝南小学校)
岩間 康正(大沢小学校)
菊地 直樹(大野台小学校)
藤野 典俊(上溝小学校)
飯田 雄太(鹿島台小学校)
田中 翔馬(若草小学校)
小林 岳有(教育センター指導主事)
〈社会科副読本検討委員会〉
田中 宏明(小学校社会科部会顧問校長)
佐藤 正文(小学校社会科部会顧問校長)
押田 功(小学校社会科部会顧問校長)
淺倉 勲(相模原市教育センター所長)
加藤 政義(相模原市教育センター担当課長)
〈作成協力〉
相模原市小学校教育研究会社会科部会
ご協力いただいた方々・所(順不同)
Aコープ
スーパー三和麻溝台店
ヤオコー下九沢店
城山鶏園
北島牧場
島村ファーム
三浦市役所商工観光課
JA三浦
京急油壷マリンパーク
三浦市三崎水産物地方卸売市場
㈱オギノパン
㈱せき製麺
㈱郵船クルーズ
神奈川県立公文書館
相模原警察署 相生交番
㈶横浜観光コンベンション・ビューロー事業部
㈶横浜港埠頭公社
横浜市港湾局 振興事業課
相模原市消防局予防課
相模原市消防団
相模原市防災協会
㈱勝瀬観光
相模の大凧センター
相模の大凧文化保存会
神奈川県県土整備部都市計画課
横浜中華街発展会
平塚市観光協会
厚木市役所
小田原箱根伝統寄木協同組合
箱根寄木細工・木像嵌製造直売(有)
浜松屋
㈱金指ウッドクラフト
畑宿寄木会館
箱根町観光経済部観光産業課
箱根町役場観光振興課
江成家の皆様
㈱亀山製材所
相模川水系ダム管理事務所
小原自治会
相模湖公園管理事務所
ローソン
相模原北清掃工場
相模原南清掃工場
荒井青果店
藤野小学校給食室
佐野川茶生産組合茶工場
㈲ふじの
神奈川県水産総合研究所
田名公民館
上溝公民館
横浜市国際交流協会
ITU世界トライアスロンシリーズ横浜大会組織委員会事務局
横浜市役所国際局国際政策部国際連携課
㈱東京ガス神奈川西支店
㈱日産自動車追浜工場
㈱三菱石油川崎製油所
相模原市郷土懇話会田名支部
㈲まもるや
西門オオシマ精肉店
相模原市立公立小学校
神奈川県県央家畜保健衛生所
神奈川県企業庁水道部経営課
相模原水道営業所
鎌倉市役所産業振興課
小田原市役所観光課
石堂琢己
相模原市役所
広聴広報課
環境政策課
資源循環推進課
廃棄物政策課
企画政策課
シティーセールス・親善交流課
学校教育課
博物館
相模川自然の村野外体験教室
※法人、団体等の名称は、発行当時のものです。
相模原市民の歌
二
実(みの)りの波(なみ)は野(の)に丘(おか)に
夢(ゆめ)も燃(も)えたつ相模原(さがみはら)
青雲高(あおくもたか)く生産(せいさん)の
平和(へいわ)のけむり立(た)つところ
建設(けんせつ)の歌(うた)わきあがる
三
ながれは清(きよ)くゆうゆうと
絵巻(えまき)は開(ひら)く相模原(さがみはら)
季節(きせつ)のいろをちりばめて
文化(ぶんか)の花(はな)の咲(さ)くところ
われらがまちに
栄(さかえ)あれ
相模原市民の歌 ここから聴けるよ
さがみはら -社会科副読本-
昭和37年10月15日 初版発行
昭和46年4月1日 第2版〈全面改訂〉発行
昭和55年4月1日 第3版〈全面改訂〉発行
平成4年3月31日 第4版〈全面改訂〉発行
平成15年3月31日 第5版〈全面改訂〉発行
平成21年3月31日 第6版〈全面改訂〉発行
令和2年4月1日 第7版〈全面改訂〉発行
令和3年4月1日 第7版〈部分改訂〉第2刷 発行
令和4年4月1日 第7版〈部分改訂〉第3刷 発行
令和5年4月1日 第7版〈部分改訂〉第4刷 発行
令和6年4月1日 第7版〈部分改訂〉第5刷 発行
令和7年4月1日 第7版〈部分改訂〉第6刷 発行
発行/相模原市教育委員会
編集/相模原市教育局学校教育部教育センター
〒252-0239 相模原市中央区中央3丁目12番10号 ☎042-756-3647(直通)FAX042-758-8146
印刷/タイヨー印刷株式会社
※無断引用・転載・複写を禁じます。