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大島周辺

おすすめ
  1. 大島諏訪明神
     相模原市の西端、城山町との境界近くの畑の中にまるでオアシスのような森があります。これが旧大島町の鎮守諏訪神社です。諏訪神社は「諏訪明神」とも呼ばれ、江戸時代までは別当として大島山圓明院という寺院を持っていました。また、文化3年(1806)、開基の覚心はこの神社を式内社である石楯尾神社であるとして「式内社石楯尾神社神祇伯資延王謹書」という額を掲げ、社前にその標柱を立てています。  境内には天満宮・蚕影社などのほかに「雨乞い様」と呼ばれる小さな祠があります。この「雨乞い様」は『風土記稿』にある「志満龍権現」であると思われますが、昭和のはじめ頃までは日照りがつづくとこの祠を台に乗せて相模川まで運び、水をかけては雨が降ることを祈ったということです。  また、この神社の例大祭には「大島の獅子舞」が奉納されています。これは剣獅子・玉獅子・巻獅子の3頭の獅子や赤鬼・天狗・道化のおかざき等が笛や歌に合わせて舞うもので、江戸文化も華やかな文化文政年間に多摩地方から伝わってきたものとして神奈川県の指定文化財となっています。近年では大人に負けじと子供たちによる獅子舞も行われ、祭りに華を添えています。
    徒歩
    1933m
    29m
  2. 大島の獅子舞

    剣獅子・玉獅子・巻獅子の3頭の獅子や赤鬼・天狗・道化のおかざき等が笛や歌に合わせて舞うもので、江戸文化も華やかな文化文政年間に多摩地方から伝わってきたものとして神奈川県の指定文化財となっています。近年では大人に負けじと子供たちによる獅子舞も行われ、祭りに華を添えています。

    徒歩
    10m
    0m
  3. 長徳寺

     長徳寺は、大島のバス停「上大島」より南へ300mにある曹洞宗の寺院です。
     『風土記稿』によれば、功雲寺(津久井町)の末寺で、山号を大瀧山といい、釈迦如来を本尊としています。
     開基は鳳山良長〔永禄3年(1560)没〕、開山は州山洞益〔慶長4年(1599)没〕とされています。
     伝承では、鳳山良長はもともと武士で、いつの頃にか起きた合戦で多くの部下を亡くしたため相模川の崖下に小さな堂を建て、自らが出家してその霊を弔ったといわれています。その後、崖崩れのために小堂は倒壊し、そこで現在地に再建したものだといわれています。以前は山門の脇に観音堂があり、武相観音札所26番として参拝の人々で賑わいました。また、江戸時代には寺子屋も開かれ、地域の児童の教育に貢献しています。
     境内の鐘楼の脇には特徴的な文字で刻まれた名号塔があります。これは一般的に徳本念仏塔と呼ばれるもので、文政2年(1819)に講中によって建てられたものです。

    徒歩
    571m
    7m
  4. 大島長徳寺の徳本念仏塔

     徳本は江戸時代後期文化・文政年間に、各地で念仏を広めた行者で、その際村々の念仏講中が徳本の特徴ある書体の名号を刻んだ念仏塔を建てた。市内では14基確認されており、当麻山無量光寺境内に残る文化14(1817)年銘の念仏塔をはじめ、文政年間にかけて村の念仏講中が念仏塔を建てている。
     徳本は文化14年11月に八王子市の大善寺へ来て、その後相模原市域に入り無量光寺に来たという記録が残されており、今でも市内にわずかに残る念仏講など地域の民俗や歴史を知る上で貴重である。
     後背部「文政二己卯年」の銘
    主体部 高さ182cm 幅65cm 奥行き14cm
     もとは、下九沢内出の県道沿いにあったもの。

    徒歩
    243m
    3m
  5. 大島常磐 日々神社
     大島地区を通る県道相模原・鍛冶屋線のバス停「日々社前」の脇に神社の鳥居がたっています。参道はここから東北にのび、やがて日々神社につづいています。  この神社はもともと「日之宮」と呼ばれていましたが、明治2年に現在のような「日々神社」に改称されています。また、その年には別当だった阿生山正宝院が神仏分離令により廃されています。  この神社の御神体は近くの崖地にある俗称「かがみの滝」の水底から出たとされる1枚の鏡です。そのため、明治の頃までは祭礼の時には神輿がこの滝を渡御する「滝降の神事」を行っており、また、日照りがつづいた時にはこの滝を清めてお祈りをし、雨が降るのを願ったといわれています。  社殿は最近新築され、たいへんきれいになっています。また、境内には保元2年(1157)に当時10才だった源頼朝が植樹したと伝えられる「淤能碁呂松」という大きな松の木がありました。しかし、残念ながら昭和41年の台風によって枯れてしまい、現在ではその切り株だけが残されています。  なお、鳥居のところには日清・日露戦争」で有名な陸軍大将大山巖の書による表忠碑が建てられています。
    徒歩
    1786m
    24m
  6. 大島日々神社の徳本念仏塔

     徳本は江戸時代後期文化・文政年間に、各地で念仏を広めた行者で、その際村々の念仏講中が徳本の特徴ある書体の名号を刻んだ念仏塔を建てた。市内では14基確認されており、当麻山無量光寺境内に残る文化14(1817)年銘の念仏塔をはじめ、文政年間にかけて村の念仏講中が念仏塔を建てている。
     徳本は文化14年11月に八王子市の大善寺へ来て、その後相模原市域に入り無量光寺に来たという記録が残されており、今でも市内にわずかに残る念仏講など地域の民俗や歴史を知る上で貴重である。
     主体部 高さ90cm 幅59cm 奥行き42cm
    正面「文政三年 辰年」の銘
     もとは大島常磐の県道沿いにあった。

    徒歩
    146m
    1m
  7. 大島中ノ郷のヤツボ

    相模川を望む崖沿いには湧水地が数多くあり、大島から田名地区にかけては、その湧水を溜めた場所を「ヤツボ」と呼んでいます。大島地区では10カ所以上のヤツボが確認されていましたが、多くは枯渇し現在も利用されているところは限られています。大島中ノ郷のヤツボは、地域の人々によって飲料の取水や洗い場として利用されていました。水量は減っていますが、現在でもわずかに湧水は見られ、幅約2メートル、長さ5メートル程の溜池をみることもできます。

    徒歩
    1095m
    15m
  8. 大島水場のヤツボ

     大島水場のヤツボは、田名原段丘と相模川河床との間の段丘崖急傾斜地中腹にあり、段丘崖からの湧き水を溜めたもので、地域の人々によって飲料水の取水場や洗い場として利用されていた。また、北東400m程にある日々神社の御神水としても利用されていた。
     水量は減っているが現在でも湧水は見られ、約2m×5m程度の池になっている。
     ヤツボは大島から田名地区にかけて10箇所以上確認されているが、現在は多くのヤツボが枯渇し、また、利用されている所も限られている。

    徒歩
    1011m
    13m
  9. 清岩寺

     清岩寺は、大島のバス停「古清水」より南へ200m、神沢坂の上にある臨済宗の寺院です。
     『風土記稿』によると、建長寺(鎌倉市)の末寺で、山号を白雲山といい阿弥陀如来を本尊としています。
     同書によると、はじめは清光庵という堂宇でしたが、後に清岩寺となり、月桂祐天〔天文15年(1546)没〕を開山として開いたと記されています。寺伝では、清水三左衛門が文保元年(1317)に仏燈大光〔元応2年(1320)没〕を招いて開き、後に三ヶ木村(津久井町)の長寿庵(廃寺)の月桂祐天がこれを継承したものだと伝えています。
     当寺には仏燈国師倚像が残されていますが、墨署銘によると鎌倉仏師三橋永助の作であることがわかります。
     また、明治3年(1870)の『禅宗曹洞宗本末寺号其外明細帳』を見ると、本寺は地域の榎戸というところに「拈花庵」という庵室を持っていたことがわかります。(現在は廃寺)。
     本寺にちなむ伝承として、仏燈大光の霊力によって清水三左衛門は子宝に恵まれたことなどがあります。

    徒歩
    81m
    1m