アンケート 操作方法
文字サイズ
背景色

尾崎行雄(咢堂)

 尾崎行雄は、安政5(1858)年に相模国津久井県又野村(現在の相模原市緑区又野)に生まれ、明治から昭和にかけて激動の時代の中で活躍した日本の政治家です。尾崎が生涯で名乗った5つの雅号のうち、最も長く称した「咢堂」は別称としてよく知られています。

 尾崎は、明治23(1890)年の第1回衆議院議員総選挙において初当選を果たしてから、連続当選25回、通算議員在任歴は60余年に及び、文部大臣、東京市長、司法大臣の要職を歴任しました。東京市長時代に米国ワシントンD.C.のポトマック河畔に約3,000本の桜の苗木を贈ったことは、日米友好を表すエピソードとして有名です。

 尾崎の功績を語る上で欠かすことのできないキーワードとして、「ふたつのフセン」が挙げられます。ひとつは「普選」。人びとが平等に選挙権を与えられることがまだ当たり前ではない時代、普通選挙実現のために尽力しました。そして、もうひとつは「不戦」です。日本が軍国主義に染まって戦争へ突き進む中、危険を顧みず軍部を批判し、世界平和を希求して声を上げ続けました。

 長きにわたる政治人生の中で民主主義と国際平和のために尽力した尾崎は、畏敬の念を込めて「憲政の神様」、「議会政治の父」とも呼ばれています。また、尾崎の功績を称え、衆議院から憲政功労者として昭和10(1935)年と昭和27(1952)年に二度の表彰を受け、翌28(1953)年には東京都名誉都民第1号として顕彰されました。

 尾崎が心を砕いた民主主義と平和への信念は、今日においても色あせることはありません。

このウェブサイトについてご意見をお聞かせください