1.日本一大きな町 相模原町誕生、軍都から基地のまちへ 明治22年~昭和28年(1889~1953)
相模原では内陸の大地という風土から、畑作とわずかな水田と養蚕からなる農業を中心に、人々の暮らしは営まれてきました。
明治22年(1889)、市制・町村制により18か村から7か村となり、明治41年(1908)には横浜鉄道(現JR横浜線)の開通により社会情勢も大きく変化します。
大正期には県立養蚕学校(現相原高校)が設置され、上溝町が誕生。
その後、昭和の初めごろから日本は軍が政治を左右する社会情勢となっていく中、小田原急行鉄道(現小田急線)や相模軽便鉄道(現JR相模線)開通などによる地の利から、多くの軍事関係施設ができ、軍都色が強まっていきました。
そうした中、昭和16年(1941)、上溝・座間の2町と相原・大野・大沢・田名・麻溝・新磯の6か村が合併し、人口45,482人、面積108.71平方キロの町としては日本最大の「相模原町」が生まれました。
横浜鉄道開通と同時に開業した淵野辺駅
相模原の製糸業とともに発展した漸新社